英国プリマスで造船所を営む腕利きの船大工、ウィル・スターリングは、セーラーとしても優れたタフな海の男である。日本で唯一の本格クラシック・セーリングヨット〈シナーラ〉のレストア(2017-2020)に招聘されて、難しいコーキング作業を担当した。
その彼が、43フィート木造ヨット〈インテグリティ〉を設計・建造し、昨年は北西航路横断を成功させた。
来年はアラスカから日本へ向かい、日本の海をめぐって、旧交も温めたいという。この素晴らしき物語を、短期集中連載でお送りする。〈インテグリティ〉来航の折には、月刊Kazi編集部は同乗取材を予定している。
◆メインカット
photo by Will Stirling | 1906年、ロアール・アムンセンが帆船〈Gjoa(ヨーア)〉によって横断を成功させた北西航路。耐航性に優れ、ある程度の砕氷能力をもあわせもつ43フィート木造ヨット〈インテグリティ〉。その船影を北極海に映す
〈Integrity〉
●デッキ長:43フィート
●水線長:37フィート
●喫水:7.6フィート
●メインセール:675平方フィート
北西航路探検の歴史
「北西航路」とは、北米大陸の北に広がる北極海を横断して、大西洋と太平洋とを結ぶ伝説的な航路である。
16世紀、ヨーロッパから「香辛料諸島」と呼ばれた東南アジア方面への既存の海路を迂回しようとした北部欧州諸国が、その航路の探索に最初のはずみをつけた。アフリカや南米の南を通る既存のルートは、当時香辛料貿易を独占して大いに儲けていたスペインとポルトガルという二つの強力な王国によって支配されていた。
しかし18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパのパワーバランスが変化した。北部欧州諸国が優位に立つ一方、南欧列強の世界的影響力は衰えていった。
この変化によって、ヨーロッパから東アジアへの南半球を通る海路は、欧州の全ての国々に広く利用されるようになったが、北西航路を経由することによる航海距離の短縮という利点は依然として残されるままとなった。
いまだ誰にも確認されてはいなかったものの、北極海を通るこの航路の存在は、理論家からも行動派からも広く信じられていた。それとは正反対の圧倒的な証拠があったにもかかわらず、また幾度現実の探検に失敗し船や人命を失っても、北西航路の可能性を探索する熱意は長く冷めることはなかった。
中でも、繰り返し探検隊を派遣し航路探索の重要な主人公となったのは、英国王室海軍だった。次の探検でこそ、いまだ海図にも描かれていない無数の未知の島々の間に存在するであろう氷に閉ざされた水路の迷宮を突破して、最終的に賞賛を得ることを期待してのことだ。
しかし、その4世紀にわたる探検は、大西洋と太平洋を結ぶ実用的な航路の開拓という意図した結果をもたらすことはなかった。だが、苦難、窮乏、そして最終的には数多の船と人の犠牲の上に、この地域の徹底的な地理的調査と海図作成は確かに行われた。
16世紀以前、人類は北極海近隣の航海図を持っていなかった。しかし、北西航路「アニアン海峡(海図上の赤いライン)」が存在するのではないか、という空想をもとに1562年に描かれた想像上の海図。アメリカ大陸やグリーンランドの北端がどこまで連なるかすら認識できていなかった
photo by Yale Library
ニューヨークから東京を目指した場合、赤=北西航路なら約14,000km、緑=パナマ運河経由なら約18,200km。〈インテグリティ〉の今回のコース図とは異なるが、短縮距離のイメージ図として掲載した。実際は英国プリマスを出港し、グリーンランドやカナダのグジョーア・ヘブンなどに立ち寄りながらの航海となった
CG by RosarioVanTulpe
こうして蓄積された経験と知識の研究をもとに、1906年、60フィートの帆船〈Gjoa(ヨーア)〉に乗り組んだノルウェーのロアール・アムンセンとクルーたちによって、史上初めて北西航路の横断航海が達成された。その次に航路通過を成功させたのは、1940年、カナダ人のヘンリー・ラーセンと乗組員によるカナダ王立騎馬警察の北極パトロール用モータースクーナー〈St Roch(セント・ロック)〉だった。
そして2000年までには90隻の船舶が北西航路を横断、通過した。気候変動は地球温暖化を加速させており、必然的にこの航路はより利用しやすくなっている。その傾向はますます増大していくように思われる。この記事を書いている時点では、砕氷船、アイスクラス船、潜水艦、ヨット、ディンギーなど、およそ400隻がこの航路を通過したと言われている。
(次回へ続く)
六分儀で極圏の太陽高度角を測るウィル・スターリング。ナビゲーションも出来るだけ伝統的な方法で行おうと、GPSのスイッチはオフにしていた
ウィル・スターリング氏のHP
Stirling and Son
(文・写真=ウィル・スターリング 翻訳=矢部洋一)
text & photos by Will Stirling, translation by Yoichi Yabe
※関連記事は月刊『Kazi』2024年8月号に掲載。バックナンバーおよび電子版をぜひ