能登ボーターのレポート|令和6年能登半島地震を体験して……

2024.06.12

突然の出来事

「地震です! 地震です!」。けたたましく鳴り響くスマートフォン、2024年を迎えた元日の16時10分に起きた「令和6年能登半島地震」は最大震度7を記録し、マグニチュード7.6を観測しました。この地震による死者、行方不明者も多く、近年まれにみる大災害となったことは記憶に新しいと思います。

この地震で被害を受けたみなさまには心からお見舞い申し上げるとともに、一緒に頑張りましょう!と心から伝えたいです。そして今回の地震で元日より災害復旧のため全国から来てくださった自衛隊、警察や各関係省庁のみなさま、ご尽力いただきありがとうございます。

私は、妻の実家があり今回の震源地でもある石川県珠洲市から、自宅のある金沢市へ帰る途中で被災しました。大きな被害が出た場所の一つ、金沢~能登間の大動脈である「のと里山海道」上の峠付近にいました。発生時刻が夕方を迎える時間帯で、地震が起きた直後から時が止まったかのように一瞬にして街灯などの電気とスマートフォンの電波を奪われました。それどころか水もなくなるという。

たまたま本震前、1度目の揺れで近くのパーキングエリアにクルマを止めて様子を見ていたことが不幸中の幸いであり、あのまま走行し続けていたら崩落した道路と一緒に崖から落ちていてもおかしくない状況でした。

そして運よく、そのパーキングエリアには公衆トイレも公衆電話もありました。スマホ(無線)がダメなら有線である公衆電話機だと、本震直後にはこの公衆電話に長蛇の列ができました。みなさん大切な家族や自身の無事を連絡するために……。

 

まともに津波被害に遭った珠洲市の飯田漁港。残念ながら漁船数隻が被害に遭い、沖で沈んでいるのが見えます。手前のゴミもすべて津波が残していった爪痕です。しかし今回の被害は倒壊家屋の下敷きがほとんどで、津波による人的被害は少なかったとのこと。ときには私たちに牙をむく自然、いろいろと考えさせられた今回の能登半島地震でした

 

ドン底の中での癒やし

電波の弱い場所で被災したため、SNSやメッセージの未読件数だけは確認できるものの内容がまったく読み込めず。みなさん心配して連絡くれているのだろう、ということはわかりましたが、コチラからはまったくアクションできず。地割れができている施設内で足元に気をつけながら歩いて、スマホを頭上にかざして電波を探し、「体は無事です、電波のほとんどない場所にいます。外部とは連絡が取れないので発信お願いいたします。状況が変わったら連絡します。」と打って送信ボタンに指をかけ電波が入った瞬間にタップしてなんとか外部に連絡するという手段を取りました。

外部からの情報がまったく入ってこず、唯一の情報源はクルマにあるテレビとラジオでしたが、山の中ということもあり、テレビは途切れ途切れで、ラジオは雑音が多くほとんど聞き取れない状態。一瞬映った放送で、女性キャスターが「津波! 逃げて!」と叫ぶような報道とともに、乱れた画面でもわかるくらいに能登地方全域に津波警報が出ている表示。これを見てフネはもうダメだな、と諦めていました。

街灯の明かりもなく、時折くる余震で木々が揺れる音以外は無音の世界。ただその日の晩はとても空気が澄んでいて、夜中でも自衛隊か取材クルーかわからないヘリコプターが一晩中頭上を飛ぶ中、山の上ということもあって、つかめそうな距離にあるかのように見える満天の星が、この不幸のドン底と思えた状況下で唯一の癒やしでした。その星たち、それはもうことのほかきれいだったことは今でも本当によく覚えています。

 

金沢と能登をつなぐ大動脈である「のと里山海道」。これは1月2日の画像です。片側2車線の道路が大きく崖側に崩れ、道路には大きな亀裂が……。クルマの通行はもちろんできません。私はサービスエリアにクルマを置いて、この道をひたすら歩いて下山しました

 

車線の半分がガードレールごと崩落した車道。ひたすら歩いて穴水町にある避難所へ向かう途中です。およそ2時間歩いたと思いますが、その間にも震度4程度の余震が数回ありました。とりあえず安全なところでゆっくり眠りたい、という思いが一番大きかったです

 

いまだ復旧できない現状

愛艇は入り組んだ湾奥に係留していたこともあり、なんとか被害をまぬがれたことを後日、人づてに聞きました。現場を見た方に話を聞くと、やはり若干の海面変動はあったそうで、太めのロープでかなり余裕を持たせて係留していたから難を逃れたのであろうとのこと。ただ、私が係留しているホームポートは大打撃を受け、今後の私自身の船釣り人生にも大きく影響を及ぼすほどでした。

正直今回、本記事を書かない選択肢もありましたが、あえて今回は能登の釣果情報ではなく能登半島地震について、実際に被災し直面した実体験とともに、かなりの打撃を受けた能登の里山里海、特に海の現状を記したく思いました。

報道などでよくいわれる海底隆起、これは能登全域ではなく、いわゆる外浦といわれる輪島市~珠洲市の外洋に面する側が顕著にせり上がり、漁業が盛んな輪島港やその周辺の漁港が大きな被害を受けました。完全に干上がってしまった漁港もちらほらあり、かの有名な「輪島朝市」のメインである海産物は、そのほとんどの供給が止まってしまいました。

その輪島の朝市通りは一面、今も焼野原状態で、どこから手を付けていいかもわからない状態のままです。地面が隆起するほどなので、地震当初は道路が寸断され、消防車が現場までなかなか到着できなかったことが、燃え広がった原因でもあり、さらに道路に埋め込まれた消防用の送水パイプが断裂し、せっかく到着した消防車も活動ができなかったと聞いています。

 

珠洲市蛸島町某所。今回の地震で最も被害の大きかった石川県の先端付近です。ここは古くからの漁師町で、道路は狭く建物も古いものばかり。倒壊した家屋が道路をふさいでクルマが通行できない、こうした場所は今もまだ数多く残っています。果たしてどこから手を付けていいのやら……

 

小さな家屋や物置なんかはご覧の通り跡形もなく崩れており、地震の規模がわかると思います。まともに建っている家屋のほうが少ないくらいです。このような地震はいつどこで発生してもおかしくない地震大国ニッポン。みなさまも他人事とは思わず、明日は我が身、家族間でいろいろと決めごとを作っておきましょう!

 

少しずつでも前進

愛艇を係留している能登内浦側は目に見える範囲で輪島側のような大きな隆起はなく、フネも一応出せる程度の水深はあるようですが、町自体がまだ平常を取り戻しておらず、断水が続いている地域もあり、復旧すらままならない状況で復興なんて言葉はまだまだ遠い先の話のようにも思えます。

地震から約半年、ニュースなどではもうあまり取り上げられていませんが、震災当初の日々変化し続ける状況とは少し変わり、各方面から応援に来ていただいているボランティアのみなさんや建築作業員のみなさん、もちろん地元である石川の人たちが一丸となり、コツコツと復旧に向けて少しずつ進んでいます。

つい先日ですが、愛艇を係留している公営マリーナから連絡があり、とりあえずの仮復旧はできましたとのこと。陥没のすべてを直すにはまだ時間がかかりますが、クルマも乗り入れ可能な程度に砕石を敷き、水道はまだ出ないし、電気もまだですが、フネは出せるようになりましたと、うれしい報告がありました。次回の本連載では、なんとか少しでも能登の釣果をご報告できれば! と思っています。みなさま、どうか能登を応援してください! よろしくお願いいたします。

 

愛艇のある穴水町宝山マリーナはご覧のようなありさま。真ん中に見えるのが私のフネですが、敷地内が大きく陥没し近づけない状態です。現在、とりあえずはクルマ1台が通行できるように仮復旧はしたものの、水道や電気は壊滅状態……。確かにマリーナなどの施設は緊急性がないので後回しですね。これは仕方ない!

 

(原稿・写真=横山修二)

 

横山修二(よこやま・しゅうじ)
1976年生まれ。石川県金沢市在住。ボートからのバス釣りを経て、ソルトへ転向。魚影豊かな奥能登・内浦の海をホームグラウンドに、愛艇〈昇辰丸〉(ヤマハYDX-33)で、毎週末のようにマイボートならではの自由な釣りを楽しんでいる。得意とする釣りスタイルは、オフショアでのライトルアーフィッシング。月刊『BoatCLUB』の連載「ローカル釣り便り」の筆者の一人

 

※本レポートは、『BoatCLUB』7月号の「ローカル釣り便り」に掲載したものを再編集したものです。


あわせて読みたい!

●海や環境問題について考える子どもを育む絵画コンクール「我ら海の子展」作品募集中

●海図で作られた世界に一つだけの箱|広島県なかた美術館で販売中

●上五島観光の新たな拠点|かみごとう・ならお海の駅を新規登録

 


トピックス

トピックス の記事をもっと読む