ヨットやボートといったプレジャーボートにとどまらず、海上を航行するあらゆる船舶にとって、最も考えたくないシチュエーションが「遭難」であり、「落水」である。刻一刻と状況の変わる自然の中で、命の危険に直面することになるだろう。
そんな海上でのもしもに備える心強いツールとして、近年注目されているのが「PLB(Personal Locator Beacon:携帯用位置指示無線標識、個人用遭難信号発信機)」である。海外では広く利用されてきたが、日本でも2015年に法律の改正によって海上での利用が可能となり、プレジャーボートユーザーや一般の船舶の乗員などへの普及が進んでいる。
幸いにも、これまで「実際に遭難してPLBを使用した」という例を耳にすることはなかったが、このほど国土交通省 運輸安全委員会が公開した報告書の中に、「遭難時にPLBで遭難信号を発信し、その結果として無事に救助された」という事例があった。大変興味深い報告であり、PLBの有用性をあらためて認識する事例であったので、その一部を抜粋・引用し、以下に紹介していくことにしよう。
(文=舵社/安藤 健)
落水などの遭難時には、心強い味方となるPLB。日本でも2015年から海では使えるようになり、プレジャーボートユーザーを中心に普及が進んでいる
「鹿児島県喜界町喜界島東方沖での事故報告書から」
●事故種類:火災
●事故発生日時:令和5年2月23日 00時30分ごろ
●発生場所:鹿児島県喜界町喜界島東方沖/早町港東防波堤灯台から真方位103°、104海里(M)付近(概位:北緯27°55.0′ 東経131°55.0′)
●事故の概要:漁船〈A丸〉(19トン)は、操業しながら南東進中、機関室から火災が発生した。〈A丸〉は、機関室等を焼損し、沈没した。
●乗組員等に関する情報:船長(64歳)、甲板員A(35歳)、甲板員B(37歳)
●死傷者等:軽傷1人(船長)
●損傷:機関室、操舵室、および上甲板に焼損(全損)
●気象・海象:天気/晴れ、風向/東、風速/約7m/s、視界/良好、 気温/約16.2℃、波向/東、波高/約1.8m
事故の経過は、以下の通り。報告書から事実を抽出し、以下に掲載する。(編集部)
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〈A丸〉には、船長、甲板員Aおよび甲板員Bが乗り組み、喜界島東方沖においてソデイカ漁を行う目的で、令和5年2月4日13時50分ごろ、沖縄県与那原町当添漁港を出港した。喜界島東方沖94~100海里付近の漁場に向けて航行し、6日04時00分ごろ漁を行う海域に到着して操業を開始。その後、漁場を沖縄県南大東村南大東島周辺海域に移して操業を行い、19日夕刻に再び喜界島東方沖に戻り、20日から操業を行った。
〈A丸〉は、23日深夜、喜界島東方沖100マイル付近で、自動操舵を真方位約135°、レーダーに付属するガードリング機能の警報レンジを4マイルに設定して、後部甲板の両舷船尾に設置した電動式釣機(以下、釣機)2基を使用して操業をしながら、約3ノットの対地速力で南東進していた。
船長は、23日00時30分ごろ、操舵室船尾側で休憩をとっていたとき、機関室から聞き慣れない衝撃音を聞いて不審に思い、同室船尾側から機関室に通じる昇降口を利用して機関室に降り、同室内を見渡した。船長は、主機の右舷船首側にある発電機(以下、右舷発電機)を駆動させるディーゼル機関の下方付近に火炎を認め、黒色の煙が上がっていることを確認した。
船長は、いったん操舵室に戻り、持ち運び式粉末消火器1本を機関室に持ち込み、火元に向けて噴射して初期消火を行ったものの火勢が衰えず、また、船内電源を喪失させてはいけないと思い、左舷側の発電機(以下、左舷発電機)を始動し、配電盤で船内電源を右舷発電機から左舷発電機に切り替え、その後、右舷発電機付きディーゼル機関の燃料ハンドルを下げて、右舷発電機を停止させた。
船長は、煙によって、呼吸が苦しく息が続かないので、機関室から上甲板に退避。操舵室に移動して非常ベルを吹鳴させ、船員室で休憩していた甲板員2人に火災の発生を伝えた。右舷発電機付近から発生した火炎は、機関室の右舷側側壁等に引火して、猛烈に黒色の煙を発生させ、右舷側側壁の船首側及び船尾側並びに天井を含む船体に延焼していった。
甲板員Aは、船長から火災発生を聞き、消火器1本を持って上甲板左舷側の機関室入口扉から機関室に入ったが火勢が強く、消火活動を断念した。船長は、その消火器1本を持って、再度、機関室に入ってみたものの、既にそこから中に入れる状態でないほど、延焼が機関室全体に拡大していた。
甲板員Bは、厨房室に設置してあった消火器2本を使用し、機関室入口扉付近から消火活動を行った。船長は、01時00分ごろ、操舵室がある甲板室にも延焼し始め、操舵室から機関室に通じる昇降口から、火炎が噴き出しているのが見えたので、消火活動がこれ以上できないと判断し、01時10分ごろ、甲板員2人に総員退船を命じ、左舷船尾の上層甲板に搭載している膨張式救命筏(以下、救命いかだ)を海に投下することを指示した。
事故発生場所の概略図
Ⓒ国土交通省 運輸安全委員会
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(編集部コメント)火が消えないと判断し、船からの退避を決意した船長。救命いかだに乗り移っての脱出劇が続く。
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船長及び甲板員Aは、救命いかだの離脱装置の固定ピンがペイントにより固着していたので、救命いかだをすぐに投下できず、金物を使用して同ピンを取り外して投下した。救命いかだのコンテナは、索が船体に固縛されていなかったので、海上で開かずに北方に流れ、本船から約5m離れた。
甲板員Bは、海に入って泳いで救命いかだを確保し、〈A丸〉に向けて引き寄せ、船長は、後部甲板の左舷船尾部に垂直梯子を準備して索を受け取り、索を引っ張ってコンテナを開かせ、救命いかだを左舷船尾部に寄せて、索を左舷船尾部の手すりに固縛した。
膨張式の救命いかだ。海面に投下すると、ひもが引っ張られて膨張する仕組み。荒海のなかでは乗り移るだけでも困難であることが想像される。乗り移ってからも、狭く不快なスペースのなかで一縷の望みを抱えながら、ひたすら救助を待つことになる(写真は2019年に行われたトレーニングの際に撮影したもの)
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(編集部コメント)救命いかだに乗り移る準備ができた3人。そして、本記事で最も注目すべき「PLB」が登場する。
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船長及び甲板員2人は、操舵室に3台搭載していたPLB(Personal Locator Beacon:携帯用位置指示無線標識)を救命いかだに積み込み、左舷船尾部の垂直梯子から救命いかだに乗り込み、索を切断して離船を始めた。船長らは、火災が燃料油に引火して爆発するおそれがあるので、風上の東方に向けてオールを漕いで〈A丸〉から約300メートル離れ、その途中でPLBを操作し、救助を要請する信号を2回発信した。
また、船長は、甲板員2人に対し、「他の漁船が近くにいて助けが来るだろうから大丈夫だ」と言って励ました。海上保安庁は、01時22分ごろ、喜界島東方沖185キロメートル付近におけるPLBの信号を受信し、その後、〈A丸〉の乗組員から発信されていることを認知した。
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(編集部コメント)船長ほか乗組員のPLB3台が船に搭載されていたこと、そのPLBを救命いかだに持ち込んだこと、さらに船長が落ち着いて対応しPLBの使用に至ったこと、そして海上保安庁が遭難の発生と現在位置を把握したことは、その後に大きな幸運をもたらすことになる。
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海上保安庁は、巡視船、巡視艇および航空機の発動を指示するとともに、本事故現場付近で操業中の漁船に対し、救助要請を行った。救助要請を受けた漁船4隻は、すみやかに〈A丸〉の救助に向かった。
救助に向かった漁船(以下、救助漁船)1隻は、03時10分ごろ、火災が発生している本船および漂流中の救命いかだを発見し、船長及び甲板員2人を救助した。その後、船長及び甲板員2人は、同じ漁業協同組合に所属する別の救助漁船に移乗した。
船長及び甲板員2人は、救助漁船から巡視艇に移乗し、16時35分ごろ、鹿児島県瀬戸内町古仁屋港に移送され、船長及び甲板員Aが、火災により発生した煙を吸い込んで喉の痛みがあったので病院で受診し、検査を受けて熱傷等がないとの診断を受けた。
事故に遭った〈A丸〉は、陸から離れた外洋での操業をおこなうことが常であったと想定される。そんななかで、法定安全備品ではない「PLB」を、もしものときのために用意していたことが、この幸運を呼び込んだといえる。
2月の外洋、そして深夜という状況を考えれば、救命いかだでの漂流はかなりシビアであったことが想像できる。そんななかで、救命いかだに乗り移ってからわずか10分ほどで、冷静にPLBを使って遭難信号を発信。結果として、2時間後には無事救助されたという事実が持つ意味は、非常にはかりしれないものがある。
最初の遭難信号を発した後も、PLBは1分ほどの間隔で、遭難信号と位置情報を発信し続ける。衛星通信を使ったシステムゆえ、世界中どこでも使えるということのメリットも大きい。
今回の事故報告書に記載された内容は、プレジャーボートはもちろんのこと、漁船や商船なども含めて、海に出るすべての人たちにとって、PLBは命綱になるということを、あらためて感じさせてくれる貴重な事例である。
なお、PLBは無線であり、購入後、使用にあたっては開局手続きが必要となる。PLBそのものの詳しい情報や機能、購入については、こちらのサイトをご覧いただきたい。
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