太平洋横断にチャレンジ中の辛坊治郎さん。4月27日、出航から18日目を迎えた。
その航海を、現在位置情報がわかる古野電気の特設サイトを通して、全国のたくさんの人たちが見守っている。そのなかには、普段はヨットやマリンスポーツに縁のない方も、かなり多いことだろう。
これから天気はどうなっていくのか?あるいは、この季節の太平洋の気象・海象の傾向は? 一般の方には、なかなかわかりにくいと思う。
そこで、自身も太平洋横断ヨットレース「トランスパック」にナビゲーターとして2度参加するなど、長くセーリングを楽しんできた経験に加え、気象予報士の資格も持っている田口裕介(たぐち・ゆうすけ)さんに、「気象から見た辛坊さんの太平洋横断」というテーマで、これまでの航海、またこれからの航海における気象について解説いただいた。(編集部)
■ヨットの特性
気象のお話をする前に、まずはヨットの特性について、簡単に説明させていただこう。
ヨットは風をセールに流すことで推進力を得て進んでいく。風に向かって真っすぐに進むことはできないが、風向(風が吹いてくる方向)に対して45度程度の方向までは進むことができる。だから、全くの風上に目的地がある場合でも、ジグザグに走ることで到達することができるというわけ。
ただし、ジグザグに走る場合は、直線で向かう場合に比べて、走る距離は1.5倍ほどになる。そして、そもそも同じ強さの風が吹いている場合、風上に向かうより風下に向かうほうがスピードが出る。
さらに、"快適"という意味では、風上より風下に向かって走るほうがずっと快適だ。風上方向に進む場合には、ヨットは風下方向に傾いて走る状態になる。このとき多くの場合、風だけでなく波も前からやって来る。船は波の登り降りを繰り返すことになり、ずっと揺れていることになるが、波が小さいうちはそれほど不快ではない。
しかし、波が大きくなると船内にいても手放しではいられなくなり、斜めに傾いた船内で服を脱ぎ着するだけでも、ひと汗かく大仕事になってしまう。大ざっぱに言って、風速が25ノット(風速約13.5m/s)、波高が4mを超えるくらいから、次第につらい状況になる。
辛坊さんが乗る〈カオリンV〉は、スウェーデンで建造されたハルベルグ・ラッシー39というヨットだ。世界のクルージングセーラーから信頼を集めるブランドで、堅牢な造りも特徴の一つ。一般的にヨットの耐堪性は高いと言われるが、中でもハルベルグ・ラッシーは、この点で定評がある。
太平洋横断にはぴったりのヨットだといえそうだが、もちろん気象予報をうまく活用して、嵐を避け、できれば風を後ろから受けられるようなコースを選択していくことが大切。それが、安全かつ楽であり、なおかつ早く目的地に到着することのできるコースでもある。
■辛坊さんのこれまで①
さて、辛坊さんは出航以来、気象にはずいぶんとご苦労なさっているようだ。
春は三寒四温。高気圧と低気圧が交互に通り過ぎるのが、日本付近の典型的なパターン。冬の冷たい空気を持つ大陸の高気圧と、南の夏の温かい空気がせめぎ合あって低気圧が発生。この時期は両者の温度差も大きく、低気圧は時に猛烈に発達し、嵐をもたらすこともある。
まず4月9日に出航してから2~3日の間、最大で1,034ヘクトパスカルまで発達した高気圧に翻弄された。
当時、辛坊さんが位置した紀伊半島の沖は、時計回りに風が吹く高気圧の南西側。東風が吹く領域だ。"高気圧は穏やか"というイメージがあるかもしれないが、発達して等圧線が込み入ると、高気圧だって強風をもたらす。当時、下の天気図が示す通り、数多くの等圧線が日本列島を横切る状態で、辛坊さんがいた位置では、進みたい方向である東から強い風が吹いたのだ。
進みたい方向からの風でも、45度程度、どちらかに進路を変えればヨットは進むことができる。しかしこのころ、辛坊さんは南北(風に対して90度程度)のコースを取っている。セール(帆)のコントロールロープにトラブルがあったそうで、トラブルを解決するまでは、船が本来持つ性能を発揮させることができなかったようだ。風を真横から受けるような進路を取りながら修理に当たったため、同じ海域を行ったり来たりしているような航跡を描いたと思われる。
2021年4月12日3時の気圧配置。紀伊半島の先端近くにある赤いマークが辛坊さんの位置
(※天気図は、北海道放送(HBC)の速報天気図バックナンバー[2週間のアーカイブ]より引用)
■辛坊さんのこれまで②
4月17日、18日は、風速60ノット(約32.4m/s)の強風に見舞われたそうだ。
先に、風速25ノット(約13.5m/s)を超えたころから次第につらい状況になる、と説明した。風速が40ノット(約21.6m/s)を超えると、ヨットにとっては「嵐」という印象になってくる。セールをごく小さなものに替えてパワーダウンし、船に当たった波は飛沫となってデッキを洗い、バケツで水をぶっかけられたようになる。一般的なセーラーにとって、風速40ノットは「出会いたくない嵐」だ。
辛坊さんは、60ノットの風のなか二晩を過ごしたそうだ。筆者は、これまでに風速60ノットを経験したことがない。セールなんて、とても揚げてはいられないだろう。山みたいな波が押し寄せ、嵐に強いハルベルグ・ラッシーをもってしても、ひっくり返る恐怖を感じ続ける強烈な体験だったそうだ。「もう死ぬと思って、神に祈ったらなんとか生き残った」とコメントしていた。
2021年4月17日15時の気圧配置。房総半島東端、犬吠埼の沖にある赤いマークが辛坊さんの位置
■辛坊さんのこれまで③
その後も、低気圧と高気圧が交互に訪れ、穏やかな時間と40ノット程度の強風とを、交互に味わっているようだ。とはいえ、これはこの時期の典型的な気象パターン。ヨットで日本からアメリカに向かう多くの方は、それを嫌って、もう少し遅い時期を選ぶことが多いようだ。
しかし、出発のタイミングを遅くすると、今度は台風の心配が増してくる。聞き及ぶところによると、辛坊さんは台風のリスクを避けるために、早めの出航を選んだのだという。
にもかかわらず、先日、台風2号が発生。台風としての勢力を保ったまま遭遇することはなかったが、台風崩れの低気圧が猛烈に発達。速い速度で〈カオリンV〉付近を通過した。
今日4月27日のニッポン放送のラジオ番組「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」では、洋上の辛坊さんとスタジオが衛星電話でつながったが、最も影響を受けた昨夜(4月26日から27日にかけて)は、風速80ノット、波高10m程度だったとのこと。明るい声で「3回くらい死にそうになった」とコメントしている。
もし船が転覆(ロールオーバー)した場合は、船に残るか、あるいは脱出を図るかを考えたそうだ。「波はほんの10mくらいですね(笑)。波を下るときに船全体がサーフィン状態になるんですよ」と、余裕のある言葉も飛び出た。
今後はしばらく高気圧の圏内で穏やかになりそう、とのアナウンサーの言葉に、「それ信じるよー」と答えていたが、心からの声だろう。
2021年4月26日18時の風予報図。日本列島のはるか東の沖を通過する低気圧(元の台風2号)の真下に、辛坊さんがいたのだと思われる。
©Windy
■辛坊さんのこれから
これから先の太平洋中央部は大陸の影響が薄くなり、地球規模の気象現象が色濃く表れるエリアになる。
赤道で温められて上昇した空気が北上して、下降する海域。空気が下降すると高気圧が発生し、特に夏場は大きな高気圧となって、太平洋全体を覆う。いわゆる「太平洋高気圧」だ。
そうなるとこの付近の気候も安定するが、今はまだ、太陽のパワー不足。北緯25~35度付近に、高気圧をいくつか置くにとどまっている。
結果として、コース上は高気圧と低気圧が順に並ぶことになる。時計回りの風が中心から外に向かって吹く高気圧と、反時計回りの風が中心に向かって吹く低気圧の間を上手く縫って走り、なるべく長時間、風を後ろから受けられるコースを選択したいところだ。
また、この時期は条件が整うと低気圧の発達も見られる。日本近海よりはマシだろうが、油断のならないエリアには違いない。
そして、アメリカ近海に入ると、サンディエゴへのアプローチを考えるべきエリアとなる。このあたりは、日本近海に比べると高気圧も低気圧も大きくて、動きはゆっくりであることが多い。
「大きくて動きがゆっくり」ということは、前から風を受ける場合も、後ろから風を受ける場合も、それが長時間に及ぶということだ。辛坊さんも百も承知のようで、ラジオ番組のスタッフとの会話でも、高気圧の北側にあたる追い風エリアに行くために一旦南下したとしても、日付変更線くらいからは北上して、米国へのアプローチが追い風となることを狙っているようだ。
NOAA(アメリカ海洋大気庁)の太平洋天気図サイトにある太平洋予想図から。2021年4月25日15時(UTC:世界協定時)時点での、96時間後の予想図。低気圧と高気圧が交互に並んでいる様子がよくわかる。
古野電気の特設サイトにアップされている、辛坊さんの4月27日20時27分現在の位置情報。意思をもって力強く東に進んでいる様子が見て取れる
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気象予報を読み解いて、速くて安全で快適なコースを選択するのは、セーリングの楽しみの一つ。ラジオ番組での定時連絡や古野電気の特設サイト(現在位置がわかる)も、太平洋の天気図や、Windyなどのグラフィカルな風予報サイトを併せて見れば、より一層楽しむことができるだろう。
(文=田口裕介)
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