AC日記|役者がそろった第37回アメリカズカップ

2022.06.12

初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』2022年6月号に掲載された内容を再集録するものだ。(編集部) 

※トップ写真:前回36回大会を戦う、アメリカンマジック(左。アメリカ)とエミレーツ・チームニュージーランド(防衛チーム。ニュージーランド)
photo by COR 36 | Studio Borlenghi 

 

 

 スリングズビーのAC復帰

ネイサン・アウタリッジとトム・スリングズビー。フォイリングヨットで競う現代ヨットレース界の頂点でしのぎを削る2人のオーストラリア人セーラーが、次回第37回アメリカズカップ(以下、AC)の舞台に、そろって復帰することになった。アウタリッジは今年3月に防衛チームであるエミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)への入団が発表され、スリングズビーは、5月になって米国ニューヨーク・ヨットクラブの挑戦チーム、アメリカンマジックと選手契約したことが発表された。 

ピーター・バーリング、ブレア・テューク、グレン・アシュビーの3人をコアとするセーリングチームで第36回AC防衛に成功したETNZは、アウタリッジを獲得したことで、左右それぞれのタックで左右舷に分かれた2人のドライバーがステアリングをシェアすることが可能になった。次回大会に向けてのレース艇の開発は、そのセーリングスタイルありきで進められているのだろう。 

月刊『Kazi』2022年5月号のこの日記にも書いたが、英国人セーラーのポール・グッディソン一人に多くのプレッシャーが課せられていたアメリカンマジックのセーリングチームだったが、スリングズビーを獲得して、そのグッディソンとのコンビが実現すると、チームの総合力が一気にトップレベルへと急上昇する。スリングズビーの獲得は、グッディソンのたっての願いだったかもしれない。さらにその上、このチームも左右舷にそれぞれヘルムスマンを配置するデュアルドライバーシステムのコクピットレイアウトを持つボート開発が可能になったことになる。 

ただ、ニュージーランド人女性と結婚してニュージーランドにすでに長く住んでいるアウタリッジがETNZにすんなり入団できたことは分かるが、米国チームと契約したスリングズビーが、第37回ACの、セーラーの厳しい国籍ルールをどういうふうにクリアできたかについて、正確なところが今のところワタクシには不明である。 

スリングズビーが第34回ACに米国チームで参加したことで国籍ルールをクリアしたと説明するメディアもある一方で、そうではなく、第37回AC参加チームが4カ国以内なら、それ以外の国のセーラーは参加できるのだと説明しているメディアもある。その辺りをもう少し勉強してその理由がクリアに明らかになったら、この日記に改めて書こうと思う。でも、スリングズビーのような偉大なセーラーがACに参加できることは、ACファンにとっても大変うれしいことは確かである。 

ニューヨークヨットクラブにとって、132年にわたって防衛し続けてきたACを奪い取っていったオーストラリア人セーラーは、にっくき相手であるはず。そのオーストラリア人セーラーであるスリングズビーを雇い入れたことの舞台裏には、クラブ内部にあれこれと辛辣な議論があったのかも知れないし、意外と、なかったのかもしれない。次回ACで、もしニューヨークヨットクラブが、オーストラリア人セーラーのスリングズビーのチカラでACを取り戻すことに成功したら、それはそれで話題になることだろう。 

 

 

 

Tom Slingsby

トム・スリングズビー。37歳。アメリカズカップ優勝、ILCA五輪金メダル、ILCA世界選手権優勝(5回)、モス級世界選手権優勝(2回)、エッチェル級世界選手権優勝、D1スキフ級世界選手権優勝、ロレックス・セーラー・オブ・ザ・イヤー(2回)、SailGP年間チャンピオン(2回)など 
photo by Dan Ling for SailGP

 

 

Nathan Outteridge

ネイサン・アウタリッジ。36歳。49er級五輪金・銀メダル、ユース世界選手権優勝(3回)、49er級世界選手権優勝(4回)、モス級世界選手権優勝(2回)、2位(3回)など 
photo by Dan Ling for SailGP

 

 

〈チェイス・ゼロ〉好調! 

トヨタ自動車の水素燃料電池と駆動システムが搭載されたETNZのフォイリング・チェイスボート〈チェイス・ゼロ〉が進水して、5月初旬にはメディアを乗船体験に招待したという。そのレポートが地元のいくつかのメディアで紹介されていて、それを読んだり観たりすると、〈チェイス・ゼロ〉の乗り心地や性能は、コンピュータ内で計算された通りで、素晴らしい性能を発揮しているらしい。テスト走行を開始してから5週間後には、VPPが予想した通りの最高速50.5ktをマークしたという。 

水素燃料電池駆動の〈チェイス・ゼロ〉だが、フォイリング速度に加速する最後のタイミングで、補助モーターの“援助”を受けるらしい。その援助でテイクオフした後は、再び燃料電池だけでフォイリングを続けるゼロエミッション艇になるのだという。 

炭素排出ゼロのプロペラ動力船での50ktオーバーは、世界初だという。それを、日本のトヨタ自動車という会社が開発した技術で達成したことが、ワタクシはニッポン人としてとてもうれしい。自分はACに勝って日本にACを持ってくることはできなかったけど、自分の国の会社の技術がACに貢献していることで、もう充分にうれしい。ビデオで〈チェイス・ゼロ〉を船長として運転しているのは、ノースセイル・ニュージーランド勤務時代に同僚だったカーリーで、それもまた超うれしい。 

 

 

photo by Emirates Team New Zealand

 

Chase Zero

水素燃料電池推進プロトタイプフォイリングボート〈チェイス・ゼロ〉主要目

●全長:10.0m ●全幅:4.5m ●喫水:2.2m ●フォイル形状:π型フォイル、T型ラダー ●排水量:4,800kg ●燃料電池:トヨタ80kW × 2 ●モーター:220kW × 2 ●バッテリー:42kWh × 2 ●タンク:4×8kg水素 @350bar ●航続距離:約97海里 ●巡航速度:30kt ●最高速度:50kt 


 

(文=西村一広) 

※本記事は月刊『Kazi』2022年7月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ

 

 

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西村一広

Kazu Nishimura

小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー?ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。 

 


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