
「世界最古のスポーツトロフィー」とされるアメリカズカップ(以下、AC)。
ヨット界で最高の名誉とされる、銀杯を巡る戦いの舞台には、いつの世もその次代の世界的な大富豪や名セーラーが集っていた。
その中でも、プラダ・グループ会長のパトリツィオ・ベルテッリが率いるルナロッサは、初出場から現在に至るまで、常に大きな存在感を放つACの主役の一人だ。
ベルテッリとルナロッサは、いかにしてACの世界での立ち位置を確立したのか。今回はその航跡を、プロセーラーの西村一広さんに解説いただこう。(編集部)
※本記事は月刊『Kazi』2025年11月号に掲載されたものです。
◆タイトル写真
photo by Luna Rossa|パトリツィオ・ベルテッリ自身7度目の挑戦になった第37回AC挑戦者選抜戦。ルナロッサ・プラダ・ピレリの〈ルナロッサ〉の性能はトップレベルで、もしスキッパーのジミー・スピットヒルの全盛期と重なっていたら、この回もAC本戦へと勝ち上がる可能性は高かったと思えた
ビジネス戦士の戦略
イタリアのアメリカズカップ(以下、AC)挑戦チーム、ルナロッサを率いるパトリツィオ・ベルテッリは、ビジネスマンとしてほかの誰のマネでもない自分独自の理念と戦術を駆使する。
ヨーロッパの皮革製高級バッグの老舗有名ブランド群を向こうに回し、夫人のミウッチャ・プラダがデザインする工業用防水ナイロン製のバッグを武器に、創業時の勢いを失い消えゆこうとしていた「PRADA」ブランドを、わずか10数年の間に列強ブランドと肩を並べるファッション・ブランドへと成長させた辣腕のビジネスマンである。
ベルテッリは2000年開催の第30回大会での初AC挑戦に向けて、それまで3度あったイタリアからのAC挑戦の失敗を研究した上で独自の戦略を立てた。
彼はイタリア人主体のチームを組織するつもりではいたが、ACに勝つために重要だと考えた外国人を2人だけ、周囲には内密に、その回のACで定められていた国籍ルールを満たす期限の1997年10月までに、住民票を取らせたうえでイタリアのミラノ市に住まわせていた。
海外の才能と経験を雇う
その2人とは、ヨット設計者のダグ・ピーターソン(米国)と、ブラジル人セーラーのトーベン・グラエル。
ピーターソンは第28回ACで防衛に成功した米国艇を設計した後、その次の第29回ACではニュージーランド(以下NZ)の挑戦艇を設計して、その米国からACを奪い取った。
グラエルはベルテッリが愛してやまないイタリア製のスター級に乗って1996年のアトランタ五輪で金メダルを獲っただけでなく、キールボートの世界では、イタリア人オーナー所有のIOR外洋レーサー〈ブラバ〉のタクティシャンとして、重要な国際レースで勝利を重ねていた。
今になって振り返ってみれば、ベルテッリが選んだこの2人の外国人が、ベルテッリが最初のAC挑戦でAC本戦まで勝ち上がった大きな要因だったことに気付く。

トーベン・グラエル。3大会連続の五輪金銅金メダルを筆頭に小型艇で無数のタイトルを持つばかりでなく、外洋艇では24時間最速スピード記録も樹立。長女は2大会連続五輪金メダルのあとSailGPスキッパーとしても活躍するマルティーヌ・グラエル
photo by Bengt Nyman / CC BY 2.0
冴え渡るチーム強化策
ピーターソンが設計した艇は、予選シリーズで1、2を争う速いボートだったし、第30回AC本戦の第1レース第1レグで防衛艇NZを相手に披露したその艇のアップウインド性能は、防衛艇を完全に凌いでいた。
そして、トーベン・グラエル。マッチレースの経験が乏しくスタートで負けることが多かったイタリア人ヘルムスマンのフランチェスコ・ディ・アンジェルスを、グラエルは「超」がつくほど凄技のタクティクスとストラテジーで支え、フィニッシュラインではキッチリと勝ち点を稼いだ。特に、ポール・ケイヤード率いる強敵アメリカ・ワンとの激闘になった挑戦者選抜戦の決勝は、ベルテッリのチームはグラエルなくして到底勝つことはできなかっただろう。
ものすごく重いヨットだったIACC(国際AC級)でマッチレースを戦い抜くには肉体的能力に非常に優れた屈強のクルーを必要とした。そのポジションには若いイタリア人セーラーを鍛え上げて投入する。
その一方で艇のデザイナーとレースの司令塔には、優れた才能を外国から招き入れる。ベルテッリのその戦略は、実に的を射たものだったのだ。
それは第32回、第36回、第37回ACでヘルムスマンに招いたジミー・スピットヒル(豪)の場合も同様だった。

AC初挑戦だった第30回大会で、ベルテッリのチームは挑戦者選抜戦を制してAC本戦の舞台まで駆け上がった。性能抜群の挑戦艇を設計したピーターソンと、凄腕セーラーのグラエルをチームに招いたベルテッリの戦略が光った
photo by Luna Rossa
後編に続きます。
(文=西村一広)

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西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。