辛坊治郎さんが太平洋横断に使用したハルベルグ・ラッシー39。これを購入し改装を加え、太平洋横断を目指すご夫婦がいる。横浜ベイサイドマリーナに拠点を置く、土屋 敦さん、絢女さんご夫妻だ。華やかで目を引く二人の愛に満ちた長距離航海計画。その夢想とは?
Kazi5月号に掲載された記事を特別に再掲載します!
メインカット | photo by Takuya Neda
「私たちの記事、あの香代さんと増田さんのあとに掲載されるんですか? だ、大丈夫かな……(笑)」と謙遜するのは、辛坊治郎さんの太平洋横断艇ハルベルグ・ラッシー39を購入した土屋 敦さん、絢女(あやめ)さんご夫婦。長距離航海懇話会(注1)から、素晴らしいチャレンジをされる2人がいらっしゃると聞き横浜ベイサイドマリーナ(以下、YBM)を訪ねた。〈AYAMETTA(アヤメッタ)〉と名付けられた2人の愛艇は、これから目指す太平洋横断の準備に追われていた。
注1/「セールボートによる長距離航海を経験・実行・計画・夢想しているヨット乗りの交流の場」として2008年に設立。長距離航海者たちの骨太なサロンである
「出発地は函館か釧路を予定しています。〈景虎〉の長尾専一さんは東京夢の島マリーナから40日間で太平洋横断を達成されたそうです。シルビアさん、近藤夫妻は53日間だったそうです。北海道から出ると、関東から出航するより約500マイルほど短縮できます。そこからアメリカのポイントロバーツまで、航程は1カ月半の予定です」
今回のチャレンジに際し、敦さんはかなり前から綿密に準備を重ね、長距離航海懇話会にも参加し、多くの外洋セーラーの話を聞いて学んだ。お二人のこれまでのセーリング経験はどのようなものなのだろう?
「それは、僕より経験のある彼女から」と敦さん。
絢女さんはSKD(松竹歌劇団)で男役を務めたあと、東京音楽大学で声楽を学びオペラの世界へ、日本舞踊連盟でも活動し、鎌倉歌劇芸術協会を主宰するに至った。
「ずっとインドアな私だったんですが、19歳のときに友達のお父さんが持ってるヨットに乗せてもらった思い出が鮮烈で。2007年にISPAクルーザースクールを受講しました。デイスキッパーから、結局、カナダのコースタルスキッパー、ナビゲーションまで受講し、そのままカナダにとどまって、ベアボートチャーターしてバンクーバーからアラスカ南東部へ向けて4カ月ほどソロセーリングをしました。野生のクマが怖かったから、アンカリングばかりでしたね(笑)」
いきなりすごい経歴である。カナダではラジオの気象情報を聞き間違えゲール(疾強風。34~40kt)の日に出港、そのときの快感が忘れられず、帰国して購入したベネトウ・オセアニス31には〈ナイスゲール〉と名付けYBMに置いた。国内では北海道へのソロセーリングなどを楽しんだ後、ハルベルグ・ラッシー31を購入。敦さんとは10年ほど前にYBMで知り合った。
自分たちのカラーに改装中の〈AYAMETTA〉のキャビンにて。旅の準備についてうかがった
古野電気のレーダーはそのまま使用。モニターの角度は変更。コントロールパネルには夜間でも見やすいよう蓄光シールを貼った
チャートテーブル横の引き出しは工具入れとした。元メカニックでもある敦さんによるこだわりの道具が満載
ワッチ交代しやすいように、メインサロンのベンチを引き上げてベッドとする。転落防止用のリークロスも設置予定
トイレは電気を使わない圧力式の洗浄便座を採用。蓋が落ちないようにショックコードで固定
敦さんはYBMにサンキャット26を置き、マダイ釣りなどを楽しんでいた。同じくYBMで活動していた絢女さんはとても目立つ有名なセーラーで、気になる存在だったという。そんな折、〈うみねこ〉(セントフランシス43)の佐藤宗之さんが55歳で仕事をリタイアして世界周航した話に感銘を受け、ISPAを受講しデヘラー33を購入。いつかは自分も、と太平洋横断の計画を着々と進めた。
そのころ、絢女さんがハルベルグ・ラッシー31を手放し、最近ヨットに乗れなくて寂しがっているという噂を聞きつけ、意を決してセーリングに誘った。
「よくある誘い文句ですよね(笑)。でもそのときは特に何も思っていなくて。彼は以前から自分の夢を友人たちに語っていたので、私は、いいね~、やりなよ~って応援していたんですが、まさか一緒に行こうって誘われるなんて。彼は10年前から計画していたからよいですが、私はいきなりだったから。会社を休眠させ鎌倉の家も売却し彼についていくことにしました」
プロポーズの言葉が太平洋を一緒に渡りませんかとは、なんともびっくり。初めてのデートの日に、敦さんが突然誘った〈飛鳥II〉のクルーズが実質的なウエディングクルーズに。タキシードと白いドレスを勝手に着て、客船の旅を楽しんだ。敦さんの行動力に感嘆するばかりだ。二人は現在、結婚3年目となる。
メインサロン。ベルベット調のカーテンや、ムートンなど趣味に合わせて改装。バルクヘッドにはゴッホのレプリカ『夜のカフェテラス』。南フランス・アルルに実在するこのカフェに行くのが二人の夢
インボードエンジンはボルボ・ペンタ02-60(60馬力)。奥はジェネレーター4200。夜間のみ6時間エンジンを使用する予定。計算上、47日以上の航行が可能
敦さんは、購入した〈AYAMETTA〉を、岡崎造船に泊まり込みさせてもらって1カ月にわたり改装を行った
photyo by Atsushi Tsuchiya
〈AYAMETTA〉の購入に尽力してくれた岡崎造船の須加田裕司さん(右から3人目)と!
photyo by Atsushi Tsuchiya
美しく改装された〈AYAMETTA〉のコクピットにて(まだまだ改装中)。デッキ回りの変更点についてうかがった
3月10日に行ったライフラフトの展開テストと、サバイバルスーツ(全身型保温スーツ)の確認作業
photyo by Atsushi Tsuchiya
クライミング用のハーネスを愛用する敦さん。テザーも山岳用をカスタマイズして使用
辛坊治郎さんが太平洋横断に挑戦しているときから、ハルベルグ・ラッシー39には憧れがあった。辛坊さんの挑戦をサポートする岡崎造船の須加田裕司さんに連絡をとり、もし売却するようなことがあればぜひにと声をかけた。
縁あって手に入れたハルベルグ・ラッシー39。その後、辛坊さんが執筆した航海記『風のことは風に問え―太平洋往復横断記』を読み込み、大いに参考として改善点を洗い出した。外洋セーラー辛坊さんの知見はどれも素晴らしく経験の少ない自分たちには素晴らしい参考書になったという。
もともと敦さんは、オートバイ・ロードレース全日本選手権のレーサーから世界選手権(現 MotoGP)のメカニックに転身して各国を転戦した経歴を持ち、機械にはかなり詳しい。ビルジポンプの不具合やエンジンの調整などは、比較的スムーズに改善できた。敦さんは、小豆島の岡崎造船で1カ月かけて〈AYAMETTA〉を改装したあと、ソロで九州を一周。そのままYBMまで航行し経験を積んだ。
さらに多くの先輩たちの声をたくさん聞き、新システムを次々と増設。特筆すべきは、トライスル用のレールの増設。メインセールのスライダーレールの右(スターボードサイド)に設置した。
「荒天になってからトライスルをセットするのは現実的ではありません。荒天が予想されたら、事前にトライスルをセットしておき、メインを下ろせばいいんです」
この安全への事前対応という考え方は、艇の随所にちりばめられている。
「北海道をスタート地としたのは、実は最後のトレーニング&テストセーリングの意味合いもあるんです。お世話になった人たちにあいさつしながら。土佐清水までは一本で、その後は大分や新門司をまわって日本海の北前航路へ。新たな艤装の様子も見ながら。また、搭載する燃料や食料と水の分量、ロードの調整も確認しないと。このあたりは彼女に任せています。僕は機械系を、彼女はライフラインを。セーリングは彼女のほうが上です(笑)」
「船長はあくまでも夫。クルーになる気はありませんが航海は協力しますよ。これは一つの女の、妻の生き方です。私は歌劇の世界で室内に閉じこもっていた人。彼は常に外に飛び出していく人です。お互いが相手の世界と自分の世界を引き寄せることで視野が広がるんですね。彼から太平洋横断を誘われたとき、ついていこうって思ったのは“行”の字ではなくて、生き方の“生”の字のほうなんです。彼とともに生きようって」
3月末にはYBMを発つ予定の土屋ご夫婦。北海道のスタートは6月ごろを予定している。互いを尊敬しあえる二人なら、きっと素晴らしい太平洋横断航海になるんだろうなと想像できる。絢女さん、太平洋横断したあとはどうされますか?
「船はしばらくポイントロバーツに置く予定です。横断したあとか……。アラスカ南東部を走るのかな、日本に帰ってくるのかな。また違ったことがはじまるのかもしれないし。彼が満足するまで一緒にいますよ。彼の目標が満たされることが私の満足ですから」
出発地の北海道までは、トレーニングとテストをかねたセーリングを行う予定。最終的な装備の搭載は、函館または釧路で行う。バウに立つ土屋夫妻、とにかく絵になるお二人です
5月8日現在、土屋夫妻は〈AYAMETTA〉を函館に係留し、一時帰京。次回は釧路に移動し、予定通り6月初旬から中旬に、太平洋横断の航海へ出航する予定です!
土屋夫妻は〈AYAMETTA〉をフェイスブックから応援しよう♪
(文=中村剛司/舵社、写真=根田拓也)
※関連記事は、月刊『Kazi』2023年5月号に掲載。バックナンバーおよび電子版をぜひ
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