クラスグローブ5.80(Class Globe 5.80)というワンデザインボートをご存じだろうか?
クラスミニ6.50や、IMOCA60を用いた一人乗り外洋ヨットレースが人気を博する昨今。過酷な状況下でも高速化が追求され、ハイテクノロジーが注ぎ込まれることで、ボート自体の価格の高騰化も進んでいる。こうして参入のハードルが高くなった外洋ヨットレースの敷居を下げようと、提案、開発されたのがクラスグローブ5.80だ。
このボートはなんと自作を前提とした木造艇。それでありながら、大西洋横断も可能な本格的な外洋艇である。
それを一人で造り上げたのがアマチュアセーラーの其田(そのだ)信一さん。ヨット造りが「趣味」だという其田さんと、熊本の海に浮かんだこのクラスグローブ5.80を、舵オンラインで紹介します!
(この記事は月刊『Kazi』2024年9月号掲載の記事を再編成したものです)
乗りたい船は自分で造る
「面白い船を自作したアマチュアセーラーが熊本にいます。ぜひ取材してみてはいかがでしょうか」
ある日、OP級の生き字引として、月刊『Kazi』でもおなじみの荒川 渡さんから連絡が入る。船の写真を拝見すると、かなり現代的な船型と艤装を備えているのが印象的で、これが自作の木造艇とは思えなかった。
聞くとこの船はワンデザイン外洋艇、クラスグローブ5.80。一体どんな船なのか。そしてそれを造った其田信一さんはどんな方なのだろうか。
熊本に向かうと、其田さんは空港まで自ら車で迎えてくれた。
「遠いところまでお越しいただきありがとうございます。お話は移動しながらしましょう」
温かい出迎えのあとも、てきぱきと取材の進行に協力してくれる其田さん。取材当時はお仕事が多忙な時期だったそうだが、そんな中での丁寧な対応に、さっそく其田さんの人柄が感じられた。
胡茶丸(クラスグローブ5.80)
●全長:5.80m
●ハル長:5.70m
●喫水:1.40m
●セール面積
メインセール:12.572㎡
ファーリングジブ:7.642㎡
ジェネカー(A5):19.378㎡
●排水量:700kg
●バラスト重量:220kg
其田信一さん
Shinichi Sonoda
熊本県出身。自らの会社で主に内装の造作、家具、建具などの工事を行っている。現在は熊本県・三角港波多(みすみこうはた)マリーナで愛艇を係留中。同マリーナに係留している僚艇の修理などにも協力している。ミラー級ディンギーで世界選手権に出場経験有り
「私はヨットに乗ったことがなかったのですが、昔、カナディアンディンギーの設計図を見て『これを造ったら面白そうだ』と思ったんです。それは造るのに3年ほどかかりましたね」(其田さん)
その後、ヨットを造るだけでなく、セーリングの楽しさにも心をつかまれ、それからの其田さんのヨットライフは「乗りたい船を自分で造る」という、骨太なスタイルとなった。
自宅から車で10分ほどの場所にある其田さんの工房。クレーンを導入することで、一人でも作業することが可能に
ガレージには其田さんが初めて造った船、カナディアンディンギーなど多くの船が置かれている
今回、其田さんがクラスグローブ5.80に心ひかれた理由は、外洋艇ならではの強度の高い設計、クルージング艇と比較して高い帆走性能。そしてワンデザインの規格に沿った船のパーツがクラス協会から入手できるので、建造工程も大幅に短縮される点だという。
「船造りは半分くらいの時間をパーツをそろえることに割かれる。なので、クラスグローブ5.80はここが大変な魅力でした(笑)。私にとって船造りは、組み立てている時間が一番楽しいんです」
こうして新たな愛艇〈胡茶丸(こちゃまる)〉は1年半ほどで完成させたそうだ。
クラスミニの建造工程
〈胡茶丸〉が組み立てられていく一部始終を見てみよう。「船が形になっていくこの時間が一番楽しいんです」(其田さん)
ハルの材料はマリングレードの合板。3Dのデータを入手できるので、機械に入力して簡単に切り出すことが可能だ
船台にバルクヘッドをはめて、それに沿ってストリンガーを通していく。この上に外板のベニヤをビスで打ちつける
全ての外板がはまったらビスを抜き、その穴をパテで埋める。ここまで1カ月ほど。その後ガラスクロスを貼る
塗装まで終了し、船内の建造に移る。作業場にクレーンを設置したことで1人でも船を正立させることができる
クラスグローブ5.80のクラス規則で定められた、デッキ上の手すりを製作中。デッキのカーブに沿うように、万力で木材を曲げている
ドッグハウスの入口は水密性を高めるために入り口が高くなる。これは船首部分のバルクヘッドについても同様
チャートテーブルを試作中。同クラスはバルクヘッドの水密性以外、内装は自由なのでこだわりが出るところだ
内装が完成したら屋根が乗り、船の形が見えてくる。其田さんの場合は1カ月に20時間ほどの作業時間で、1年でここまで建造が進んだ
幸せな自作艇ライフ
三角港波多マリーナに移動すると、鮮やかなオレンジ色のドッグハウスと、グリーンのハルが真新しく光る〈胡茶丸〉がさっそく視界に入る。
乗り込んでみると、足元からは20フィート弱の船とは思えない安定感と、強固に造られたデッキの硬さが伝わってきた。
この日の風は穏やかだったが、艇の挙動はとても安定していて、腰の強さを感じることができた。フルバテン仕様のスクエアヘッドのメインセールが、時折入るブローを力強くつかみ、八代海を気持ちよく走りぬける。
「この船の一つ前に乗っていたノラ21というクルージング艇より、走行性能が高くなって、行ける範囲も増えました」と其田さん。島が入り組む熊本近海は潮流が強いところも多く、これまでの船ではあまり遠出をしなかったというが、〈胡茶丸〉ではさっそく天草諸島を巡るクルージングを行ったそうだ。
係留中の〈胡茶丸〉。コンパクトなサイズながら、長く伸びたバウスプリットや、直立ステム、全通するチャインなど、走行性能を追求した現代的なデザインも見受けられる
ショートハンド艇らしく、全てのコントロールロープはドッグハウス横、両舷に整然とリードされている
デッキ上にはソーラーパネルを複数配置して電源を確保した
力強く熊本の海をセーリングする其田さんと〈胡茶丸〉
〈胡茶丸〉の船内も、其田さんのこだわりが各所に感じられる。おしゃれなデザインのカバー類や、木造の船内の優しい雰囲気などが相まって、温かさが醸し出されていた。
水密仕様のハッチが取り付けられ、高く仕切られたバウのバルクヘッドなど、外洋での切迫した状況を想定した造りも船内には当然あったが、そんな温かみのある内装によって、リラックスできる空間に仕上げられていた。
「息抜き用の部屋にしようと、内装にはこだわりました。別荘なんてものじゃなく、学生時代の下宿のような感じになってしまいましたが(笑)」と、楽しそうに笑う其田さんの様子を見れば、このキャビンが其田さんにとってリラックスできる空間となっていることが伝わってくる。
其田さんいわく「思ったより狭かった(笑)」という船内だが、木工のスキルを生かして快適さやデザインも追求した内装となっている
上のドッグハウスの建造工程③で作成途中だったチャートテーブルは、可動式として完成した。セティー前で展開すれば向かいあって食事が取れるメインテーブルに
収納部のカバーなど、各所に木工のスキルを生かした意匠を凝らしている。外洋艇の船内にありながら無骨なイメージとは離れた、温もりのある空間を演出していた
其田さんのセーリングの幅を広げ、憩いの場所となった〈胡茶丸〉は、“誰でも造れる外洋艇”というクラスグローブ5.80のコンセプトと、其田さんのクラフトマンシップがバッチリかみ合った船だった。そんな愛艇と過ごす時間が、充実しないはずがない。
「造船」とは、かくも幸せなヨットライフを生み出すものなのだ。
故郷の熊本で〈胡茶丸〉と幸せな時間を過ごす其田さん。「船を自作する楽しさを多くの人に知ってもらいたい」という思いは、その笑顔を見ればきっと伝わるはずだ。自作外洋木造船、クラスグローブ5.80は、同協会から設計図やパーツを購入することで建造が可能となる
(文・写真=川野純平/Kazi編集部)