慶長18年(1613年) 10月、牡鹿半島・月浦を出帆した〈サン・ファン・バウティスタ(Sant Juan Bautista)〉号。
仙台藩が建造した西洋帆船である。1993年に見事に復元された〈サン・ファン・バウティスタ〉号は、宮城県石巻市のサン・ファン館に公開展示されていたが、昨年10月、老朽化によってその役目を終え、解体がはじまった・・・。
その解体直前、帆船乗りの山本 海さん(スピリット・オブ・セイラーズ)が〈サン・ファン・バウティスタ〉号を訪れた。 ありし日の〈サン・ファン・バウティスタ〉号の復元船を見るとともに、当時、この西洋帆船で世界を渡った侍、支倉常長(はせくら・つねなが)たちの命をかけた冒険を山本 海さんにレポートしていただいた。月刊『Kazi』2022年5月号に掲載された内容を、再編集し前後編でお送りします。(編集部)
広大な太平洋を横断をしてみたい。そう思う人はセーラーでなくとも多いのではないだろうか。
2021年の夏に辛坊治郎さんが見事太平洋往復を成し遂げた話題は、僕たちセーラーに新たな勇気と目標を与えてくれた。
太平洋横断と聞くと、堀江謙一さんや、白石康次郎さん、辛坊さんなどそのほか多くのセーラーの話が浮かぶが、今から約400 年前、日本でガレオン船を建造し、日本人で初めて自らの意志で太平洋を渡った侍がいた。
彼の名前は支倉常長。
建造されたガレオン船は〈サン・ファン・バウティスタ〉号。まだ航海術が確立されたとは言い難い時代に日本で大型帆船を建造し、太平洋を渡った日本人はどのように世界をみて、どんな思いで太平洋を渡ったのだろうか。石巻に原寸大で復元されたガレオン船〈サン・ファン・バウティスタ〉号を現地取材し、船に秘められた太平洋・大西洋を渡った侍の壮大な物語を追う。
宮城県石巻市の宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館に公開展示された〈サン・ファン・バウティスタ〉号。精密に復元された公開展示は、見るものを圧倒した
〈サン・ファン・バウティスタ〉号で一番広かった部屋、ソテロ船長のグレートキャビン(船長室)。180人が過ごすと考えると、その他の船室空間はかなり狭かったであろう
支倉常長/Tsunenaga Hasekura
仙台藩主伊達政宗によって使節に選ばれた家臣、支倉常長。ノビスパニア(メキシコ)との直接貿易交渉のため、外交使節としてイスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇を訪ねた
写真提供:仙台市博物館(※仙台市博物館は大規模改修工事のため、令和6年3月末まで休館予定)
17世紀初頭、徳川家康が江戸幕府を開き、長く続いた戦国時代が終わりを告げようとしていたとき、世界では大航海時代が最盛期を迎え、スペイン・ポルトガルは続くイギリス、オランダの海洋新興国と熾烈な航路開拓と制海権争を行っていた。
当時の世界通貨は銀であり、南米大陸で産出される大量の銀を背景に強力な海軍力を持っていたスペインは太平洋に進出。フィリピンなどの航路を既に拓いていたスペインと、新たに交易航路を開拓したいオランダなど世界の海洋国は次々に日本を目指して船を進出させていた。
日本国内はというと、まさに戦国時代の終盤。誰が天下を取るかという時に外国からもたらされる鉄砲、火薬、鉛や珍しい交易品は国を豊かに、強くする上で欠かせないものだった。早い段階から南蛮交易をしていた九州地方にキリシタン大名が多いのはそのためだ。
家康はスペインの強大な富と高い技術を手に入れるため、キリシタンを制限しつつも交易の道を探っていた。そんな中、仙台藩、伊達政宗から、すでに来日していたスペイン海軍司令官ビスカイノから指導を受け彼らを送り返すためにもガレオン船を建造したいとの申し出がなされた。
photo by Anneli Salo
経度を計算するトラバースボード。ジョンハリスンの時計が開発される18世紀まで経度は正確に算出することはできなかったが、この記録装置で、出帆地から30分ごとに進んだ距離と方角を記録し、自船の経度を推測していた
2006年に総帆展帆した〈サン・ファン・バウティスタ〉号の復元船。横帆に風を受けその雄姿を披露した
慶長遣欧使節〈サン・ファン・バウティスタ〉号の航路図(画像提供=サンファン館)
この船を管理するサン・ファン館に特別な許可をもらい、〈サン・ファン・バウティスタ〉号を間近に見せてもらうことにした。長さ55m、高さ48mの船体は当時の資料から原寸を割り出し、復元された。堂々たる船体は見るものを圧倒する。
当時の航海とはどのようなものだったのか。マゼランの艦隊が世界周航を成し遂げたのが1522年、16世紀初めだ。地球は丸く、世界の海はつながっていると解明されたものの、マゼラン自身が航海半ばで命を落としてしまったように、大洋を航海することは危険な行為であった。
ガレオン船とはガレー船のような船首を持ち、15世紀に商船として主流であったキャラックから発展した大型の帆船で、キャラックに比べて喫水が浅く、船型がスマートであったためにスピードが出る特徴を持っていた。キャラックから受け継がれた縦帆のご先祖ラティーンセールを備える。横帆しかなかった前時代の帆船と違い風に対しての走らせ方も自由度が増え、大航海時代を代表する船型だ。
大航海時代は陸路と沿岸航海によって東西の交易をしていたヨーロッパ諸国がオスマン帝国の台頭により陸路を断たれ、大海に交易路を開拓するしかなかった事情もある。結果、造船技術と航海術が発達し、新大陸の発見、香辛料や作物など世界中の品物を船によりヨーロッパに集め、交易するグローバル化を推し進めた時代と言える。
画像提供=サンファン館
●全長:55.35m ●船体長:47.10m ●竜骨長:26.06m ●全幅:11.25m ●喫水:3.80m ●全高:48.80m ●メインマスト高さ:32.43m
粘りのあるベイマツを使用したメインマスト。『貞山公治家記録』に「帆柱十六間三尺、松ノ木ナリ」とあり、一間を六尺五寸換算で高さは32.43mとなる
展示室には当時の資料や、航海に使われた計測具、セールなどが展示してある
左から、セール針を通すパーム、セールメーカー用スパイキ、セール針、ナイフなどセールを補修する道具たち
存在感たっぷりのバウスプリットは斜檣(しゃしょう)と書くのがぴったりで、マストとして認識されていた帆船の進化が見て取れる。ジブなどはまだ発明されていない代わりにバウスプリットに装備されているのは、スプリットスルというバウスプリットにヤードを取り付けたスクエアセールだ
ガレオン船を間近に見ることができる機会は、そうそうない。当時の航海に思いを馳せ、自分の帆船での経験を重ねながら船を眺めてみる。樽を思い浮かばせる船体は円を描くように設計されていて、波が打ち込まないように舷は高くそり立っている。
大帆と呼ぶにふさわしいメインセールをあげるマストは太く、重い。なんと重量5トン、直径1mの木材を組み木して作ったそうだ。それに比べてシュラウドは、幅も狭いし長さがある。後の時代の帆船はマストに荷重をかけないようにシュラウドを堅牢に、段数を分けることで幅広にできるように工夫しているが、ガレオン船ではマスト自体にセールの荷重がかかり折れやすいのではないかと想像する。
船内は多くの荷物を積めるように広々としている。船底にはバラストとして石、銑鉄などが積まれ、その上には重い樽や食料などが積み込まれた。
伊達政宗の命を受け使節に選ばれたのは家臣、支倉常長。乗組員は総勢約180人。名前の判明しているものはフライ・ルイス・ソテロをはじめとする聖職者4人、提督としてすでに来日していたが船を失い、造船の指揮、渡航の協力をすることになったセバスチャン・ビスカイノをはじめとするガレオン船の操船に長けたもの19人。そのほか、水夫14人、仙台藩から17人、幕府から派遣された向井将監の配下役10人、キリシタン(商人)15人であった。
当時の西洋式帆船は 日本でどのような存在だったのか
世界は大航海時代によってグローバル化が始まっていた17世紀初頭、徳川家康が征夷大将軍として幕府を開いた頃、徳川幕府はまだ絶対的な存在ではなかった。その中で西洋式の帆船は強大な火力を搭載でき、一気に江戸に攻め込める西洋式帆船の建造や所有は危険視されたと思われ、造り出すことができる外国からの技術者も厳しく監視された。
オランダの船で漂着した三浦按針ことウィリアム・アダムスも、徳川幕府のもとで厳しい監視下に置かれたのちに信頼を得て幕臣にまで取り立てられている。他の藩などには絶対に引き抜かれたくなかった家康の警戒がうかがえる。今で言えば宇宙船を建造、航行できる技術を持っているような超危険人物そのものだったろう。
復元された〈サン・ファン・バウティスタ〉号の大砲。帆船は兵器でもあった
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支倉常長たち総勢180人を乗せた〈サン・ファン・バウティスタ〉号は、まずは太平洋を越えて北アメリカを目指す。その模様は後編で!
(文・写真=山本 海/スピリット・オブ・セイラーズ 写真提供=サンファン館)
※月刊『Kazi』2022年5月号に掲載された記事を再編纂し公開。バックナンバーおよび電子版をぜひ
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〈サン・ファン・バウティスタ〉号の記事を書いたのはこの人!
Spirit of Sailors
山本 海さん
2002年、〈海星〉で帆船キャリアスタート。2006年~2009年にかけてヨーロッパ、東南アジア、オセアニア地域で帆船5隻にクルーとして乗船。帰国後、タンカー勤務(航海士)を経て、2013年〈みらいへ〉へ。後、2015年、スピリット・オブ・セイラーズ設立。ISPA公認インストラクター。名古屋と小豆島を中心にセーリングカッターでも活動中 。顔ハメ看板で支倉さんになりきってみる
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