台湾レース | 国際レースを育む絆のハナシ 前編

2023.10.16

2023.6.10~15

第19回 台琉友好親善国際ヨットレース 台湾・基隆(キールン)~日本・沖縄県宮古島 

 

1998年に発足した台琉友好親善国際ヨットレース。台湾と沖縄県・宮古島または石垣島を結ぶこの国際レースは第19回となる今回は、2019年大会以来実に4年ぶりの開催。フィニッシュ地は毎回テレコ。 

今回は宮古島が目的地だ。 

そこで、宮古島を拠点に活動する伝説のセーラー&ダイバー、渡真利将博さんにこの国際レース再開に際し、国際レースの在り方について考察していただいた、月刊『Kazi』9月号の記事をここに再掲載する。 

まずはその前編をどうぞ(編集部)。 

 

 

6月11日にスタートした基隆島1 周レース。日本艇〈シーサー2〉(リドガード38、左端)と台湾艇〈海大活力號〉(SOTO27、左から2 艇目)のデッドヒート 

 

 

基隆の泊地。港のすぐ横には海洋学専門の国立大学もあり、全体的に潮っぽい 

 


心を燃やす黒潮横断レース

文=渡真利将博

 

この文を読む前に世界地図を開いていただき、歴史家ではない、小さな島の老セーラーからの想像と視点として本稿を笑覧いただきたい。 

人と物、文化の交流は陸から陸、島から島に伝わってきたことは、私たちは子どものころから教わり、何の疑問も無く普通に過ごして来た。しかしながら、年を重ねたセーラーとしての視点となると少し変わってくる。 

古の人々は大陸から島へ、島から島への移動が航海者にとってどのような心境でなされたのかと。小さな漕ぎ船から、帆走の利便性を生み出し、島から島へ海を渡ったことは誰も疑いはしない。 

島から少し離れた場所へ出ると今まで何も見えなかった島影が水平線に見えて、次の航海でその島へ、そしてさらに次の島へ。大陸から島への人、物、文化は、そのような形で伝わったと教わった。 

その時代の島から島への移動に(エンジンという動力がない時代)、人力の漕ぎと帆走での移動のリスクの重さは、我々乗り手からすると相当に勇気のいることであったと思われる。大陸から台湾、与那国島(よなぐにじま)、西表島(いりおもてじま)、石垣島(いしがきじま)、多良間島(たらまじま)、宮古島(みやこじま)は、そのような形でつながり、その先には350km離れた沖縄本島まで、さすがにその航法では距離的に無理だ。その宮古島で大陸との交流はいったん止まる。 

一方、朝鮮半島から同じように本州、九州、吐喇(とから)列島、南西諸島、沖縄本島と交流は同様に続き、与那国島~宮古島のいわゆる先島諸島と沖縄本島間は350kmも離れていることから、その交流は大型化した帆船の大航海時代になって初めて始まったと考えられる。また、フィリピンから先島まで至るいわゆる黒潮文化もその一つと考える。すなわち、大陸文化と先島諸島は、琉球王朝立ち上げの以前から何かしらの交流があったのではないかというのが、島の老セーラーの視点である。 

その過程には多くの遭難、漂流があったことは想像に難くない。 

どんなに科学、技術が進歩しセーリングそのものが利便、快適になったとしても海そのものは古から現代まで、時代が 変わろうとも不変である。外洋に出るとき目の前の海を、古の船乗りはどのような気持ちで航海したのかをセーラーとして想像しながら眺めると、海への見方、感じ方が変わってくるのではないか。そのように考えれば、改めて海と古の航海者たちへの畏敬の念が生じる。自分も初めて大西洋を渡った時、コロンブスとその乗組員が見たその海、同じ海面を、彼らの心境を想像しながら帆走(はし)った。その航海は、私にとって至福の航海であった。 

日本の沿岸でも、荒天もあり凪なぎもあったであろう同じ海面を、古の航海者たちがどのような形の船で、どのような気持ちで航海し行く先々との交易、交流があったのかを考えながらセーリングすると、セーラーとしてまた違う楽しみ方があるのではないか。 

そのような背景から「台琉友好親善国際ヨットレース(以下、台湾レース)」が始まった。 

 

 

レース実行委員長の渡真利将博さん(右、筆者)と、レース委員長の郭廷祥(Ting Kuo)さん 

 

 

多くの台湾メディアの注目が集まる台湾レース。地元のテレビ局クルーがレースを報道した 

 

 

台湾と宮古島、石垣島との交流 

始まりは八重山ヨット倶楽部(前会長:金城 健、事務局長:深見和壽)の会員主体のヨットによる姉妹都市友好訪問から。第1 回は1998年、石垣→台湾・花蓮(カレン)へ。第2 回は2000年、第3 回は2002年、ともに与那国島→花蓮。この3回大会までは、隔年開催の友好訪問の色合いの強いレースではあった。参加艇も日本艇中心に台湾艇2 艇も加わり8 ~9艇と、こぢんまりとしたレースではあったが、今日の形になったのは第4回大会から。 

第4回は2004年に開催され、台方の要請もあり基隆(キールン)→石垣島のレースとなり今日の形になった。台方の有志と沖縄で最も歴史のあるチーム〈サシバ〉(ベネトウ・ファースト45F5)の故 東江(あがりえ)正喜氏、チーム〈ココリン〉(エリオット16)の故 識名(しきな)長典氏の尽力によるところが大きい。この大会から、台湾ヨット界活況の幕開けとなった。 

2006年には新しいコースとして宮古島→基隆レースが設定された。その理由は台方が隔年開催から毎年開催を望み、日方は毎年開催だと運営予算はもとより、石垣島、宮古島のセーラー関係者のマンパワー不足で単一クラブではその負担が大きい、という理由である。以降、石垣島、宮古島のホストクラブによる隔年開催という形で、今日に至っている。

宮古島市の当時の市長は、伊志嶺市長(宮古島ヨットクラブ初代会長。国際レースにも参加した〈TIDA(ティダ)〉のオーナー)で、市長自らレースに参加し基隆市から大歓迎を受ける。そして2007年に基隆市と宮古島市が国際姉妹都市を締結することにつながっていく(私がこのレースに深くかかわるのは、2007年から)。  

以来、コロナ禍問題などで3年の休止を乗り越えて、2023年に19回目の大会を迎えるに至り、当初のエントリー数は50艇余。さまざまな理由から最終的には43艇が参加する活況なレースとなっている。 

 

 

 台湾グルメを楽しもう!

屋台文化が楽しい台湾のグルメ。夜は街に繰りだそう。 

基隆の夜市は、多くの屋台が立ち並ぶ 

 

 

エビのスープ65元(約290円、左)と、ルーローハン25 元(約112円。2023年6月現在。元=ニュー台湾ドル) 

 

 

レースビレッジにも移動式の屋台がやってきて、レーサーを楽しませてくれる 

 

 

基隆と宮古島、 レース艇泊地比較

台湾と日本、それぞれのレース泊地を空撮で見てみよう! 

基隆

複数の防波堤に守られた静穏な港。基隆のセーリング拠点でもある

 

 

宮古島

宮古島の平良港。ヨット拠点である荷川取港の南側に、臨時の泊地を設定 

 

 

今回はここまで。 次回は、台湾レースの魅力と、アジアのセーリング事情について考察します(編集部)。 

(文=渡真利将博/Kazi編集部  写真=山岸重彦/舵社)

※本記事は月刊『Kazi』2023年9月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ

台琉友好親善国際ヨットレース公式サイト

 

2023年Kazi 9月号の購入はコチラから

アマゾンで買う!

 

 

渡真利将博

Masahiro Tomari

チャーターヨット&ダイビングショップ「24°NORTH」代表。1980 年 チャイナシー国際レース(香港-マニラ)クラス3位、1987年 メルボルン- 大阪ダブルハンドヨットレース準優勝、2010年 台琉友好親善国際ヨットレース優勝、2013 年、2015 年、2016 年プーケット キングスカップ クラス総合優勝、2020 年 日本-パラオ親善ヨットレース4 位など国際レースシーンで活躍。 24°NORTH TEL: 0980-72-3107 http://www.24north.co.jp/ 

 


あわせて読みたい!

●10/5発売、月刊『Kazi』11月号|特集は「アンカーを効かせる 入り江にたたずむ」

●ヤンマーレーシングが僅差の総合2位|ドラゴン級エディンバラカップ(英国)

●白石康次郎氏、2023年初戦のファストネットレースを完走

 

 


ヨットレース

ヨットレース の記事をもっと読む