初めてアメリカズカップを現場で観みて以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』4月号に掲載された内容を再集録するものだ。(編集部)
※メインカット写真|photo by Louis Goldman | INEOS BRITANNIA | 普通の横転のように思えたのに、あれあれっ? と思っている間にシリアスな状況に発展していったイネオスのLEQ12〈T6〉の事故。大型モノハルフォイラーは、まだ一般アマチュアチームの手に負えるヨットではなさそうだ
第37回アメリカズカップ(以下、AC)のバルセロナ開催まで1年半。連続防衛を狙うエミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)は、地元オークランドで南半球の夏を謳歌しながらAC40クラス2隻を使った2ボートキャンペーンを展開している。
AC40クラス2隻といっても、そのうちの1隻は、開発テストのためにAC40のクラスルールにとらわれることなく大幅にモディファイしたLEQ12。フォイルも違えば、セールも違う。おそらくボートコントロール系やセールトリム装置などのコンポーネントにも、斬新なアイデアが盛り込まれているはず。その2隻の1隻をピーター・バーリング、もう1隻をネイサン・アウタリッジがステアリング(操船)する。49er級とモスの2人の世界王者によるボートハンドリングによって、テストの精度は限りなく高くなるだろうし、テストの合間に行われているガチ勝負の模擬レースによるトレーニングも、ACレース本番と同じか、それ以上のレベルになる。
この日記原稿を書いている2月中旬、ETNZは新型フォイルと、新しい発想でメインセールのパワーを素早く抜くコントロール方法をLEQ12でテストしている。その新型フォイルは下方に曲げられたアンヘドラル・タイプだが、直線的な「へ」の字型ではなく、円弧の一部のような曲線を描く形状のフォイルだ。陸上静止時には先端が垂れ下がるように湾曲している旅客機エアバスA380の主翼のように、揚力を発生すると先端が上がってきて直線になる構造設計なのだ、という説もある。つまり、陸上での計測時には湾曲しているフォイル幅はルール内に収まっているが、実際のフォイリング時には直線に伸びてルールで許された最大幅よりも長くなる、というのだ。
手前、トップに黄色いロゴを施したメインセールを揚げているのが、ETNZのLEQ12。本文で触れたように、メインセールの上部セクションのキャンバーをネガティブにコントロールできるらしい。かなりなトップシークレット部分のようだ
photo by Emirates Team New Zealand
ETNZのLEQ12の左舷側に装備された新型アンヘドラル・フォイル。効用は諸説飛びかうが、チーム関係者以外には真相は闇の中。悔しいなあ
photo by Emirates Team New Zealand
ETNZの3隻目のメインセール・コントロール周辺。AC40の標準艤装とは別物のように見えるがどうだろう? 早く実物を見に行きたい!
photo by Emirates Team New Zealand
ETNZの3隻目のAC40クラスの進水式。この3隻目が、AC40改LEQ12となった2号艇のベンチマークと模擬レース相手になり、1号艇AC40は、ユース&ウイメンズACチームの練習艇になる。たくさんの読者がご存じの日本人セーラーが、そのスキッパーになる可能性が高い。とてもワクワクさせられる
photo by Emirates Team New Zealand
英国ほどの寒さではないとはいえ、冬の地中海に浮かぶマヨルカ島でテストを続けている英国の挑戦者、イネオス・ブリタニアのLEQ12〈T6〉が、2月8日、風速18ノットのコンディションで横転した。そしてその後の引き起こし作業中にメインセールが風を受けてしまい、今度は反対舷へと180度転覆、いわゆる“完チン”した。しかも、その前の横転状態のときに、何かの理由でクルーの一人が船内に入ったためにバウハッチは開いたままで、デッキ面に開口部がある状態での危険な完チン。そのクルーも非常に危険だし、そこからの浸水次第では沈没の可能性もある状況である。
水中に漬かっているメインセールが、艇の引き起こし作業の水圧抵抗になったため、トップ部を残して切り取るなどの大掛かりな作業を経て、〈T6〉は無事に起き上がったが、浸水によって艇体はかなり沈んでいる。さらに、〈T6〉のフォイルとセールのコントロールの動力源となっているリチウムバッテリーが、艇内でその海水に浸かり、海水との反応で火災を起こす危険も出来(しゅったい)した。
結果から言うと、この英国チームはこれらの危険を見事に回避し、無事に〈T6〉をベースキャンプまで曳航し、リチウム電池による火災発生も防ぎ、メインセールの損害を除いてテスト艇〈T6〉を守り切った。
この事故のあとのチームの発表によると、このチームのセーリングクルーとショアクルーたちは、このような究極の事態をも想定に入れて、組織全体として一連の危険回避行動の訓練を積んでいるのだという。
既存のセーリングヨットに比べると、一歩も二歩も未来を先取りした最新鋭のAC用ヨットで戦おうとするACチームというのは、ACに勝つための最速艇の開発に邁進するだけでなく、このような事故があっても、人的被害も出さず、艇の被害も最小限に抑えるための訓練までしている。現代のアメリカズカップに挑むには、こういうチームを組織しなければならないのだと、尊敬を込めて再認識した。
上架され、修理を待つイネオスのLEQ12〈T6〉
photo by Louis Goldman / INEOS BRITANNIA
海水に浸ったリチウム電池が発するガスを吸わないように留意しながら急いで対処するイネオスのショアチーム。普段の訓練なしにできることではない
photo by Louis Goldman / INEOS BRITANNIA
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2023年4月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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