AC日記202302|ETNZ、陸上スピード記録(2022.12.11現在)

2023.02.01

初めてアメリカズカップを現場で観みて以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』2023年2月号に掲載された内容を再集録するものだ。(編集部)

(※メインカット写真=photo by Emirates Team New Zealand | セーリングの陸上スピード世界記録挑戦中のグレン・アシュビー。この写真ではアウトリガー部のタイヤは地面に接地しているが、実はアウトリガーは風上側にあり、これを際どく浮かせて前後二輪のみのセーリングで速度を上げる。つまりアウトリガーの復原力を超える風圧を受けてしまうと〈ホロヌク〉は転倒する。誰もが可能なドライブではないのだ)

 

 

 

 

ETNZ、陸上スピード記録達成

第37回アメリカズカップ(以下、AC)の防衛チーム、エミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)の陸上セーリングスピード記録挑戦が、天候不順のために苦戦を強いられていることを先月号のこの日記に書いたが、今月号のこの日記原稿締切日になって、ついに朗報が届いた。 

それによるとオーストラリア南東部のガードナー塩湖の水がやっと干上がり、風のコンディションも整った2022年12月11日、ETNZが設計し建造した記録挑戦用ランドヨット〈ホロヌク〉と、それに乗り込んだグレン・アシュビーが、時速222.43kmというとてつもないセーリングスピード記録を達成したという。月刊『Kazi』1月号にも書いたことだが、これまでの記録は13年前に米国人グループが打ち立てた時速202.9km。それを10%も上回るスピードでの新記録である。 

記録を打ち立てたときの風速は22kt。時速222.43kmはノットに換算すると120.10kt。つまり〈ホロヌク〉とアシュビーは、風の5.5倍ものスピードで走り抜けたことになる。セーリングって、無限の可能性を秘めた技術文化なのだと、つくづく思う。そしてアシュビーは、これまで獲得してきたセーリング競技における数々の世界タイトルに加えて、陸上セーリングスピード世界記録保持者としても君臨することになった。 

アシュビーがニュージーランドに不在の間、オークランドでテストを続けていたETNZのAC40クラスは、強風下でのテスト中に激しいノーズダイブによって船首セクションをひどく損壊する事故を起こし、現在はまだ設計変更を含めた大工事の最中(この事故の詳細については舵オンラインで詳報)。今回の記録達成で〈ホロヌク〉プロジェクトに一区切りを付けて、アシュビーは第37回AC防衛プロジェクトに復帰するために、急ぎオークランドに戻ることになる。 

 

 

そんな命懸けの記録に挑み、見事それを達成したグレン・アシュビーとそのチームメンバーたち。この成功体験を次回AC防衛に繋げることができるだろうか 

photo by Emirates Team New Zealand

 

 

コクピットに乗るグレン・アシュビー

photo by Emirates Team New Zealand

 

 

2022年12月11日、グレン・アシュビーが打ち立てた記録は時速222.43km。ノットに換算すると120.10kt

photo by Emirates Team New Zealand

 

 

未来型ヨットを創出し続けるアメリカズカップの魅力

セーリング陸上スピード記録挑戦や、AC40の事故対応などで防衛者ETNZのレース艇開発プログラムが停滞している様子なのに対して、各挑戦チームたちは順調にそれぞれのレース艇開発スケジュールに沿った計画をこなしているように見える。 

レース艇開発のための独自のスケールモデルLEQ12を進水させた2チームのうち、イタリアのルナロッサ・プラダ・ピレリは、彼らのLEQ12〈ルナロッサ〉で20ノット未満の風速でのみだが、セーリング&フォイリングテストを開始している。テストセーリングのドライバーは、ジミー・スピットヒルが務めている。そう言えば、コーチとしてニュージーランド人のハーミッシュ・ウイルコックスがチーム・ルナロッサに加入した。昔470クラスで一所懸命セーリングしていた世代には、神様的470セーラー&コーチとしてのハーミッシュ・ウイルコックスの名前を覚えている読者も多いことだと思う。 

 

 

ルナロッサ・プラダ・ピレリにコーチとして加入したニュージーランド人、ハーミッシュ・ウイルコックス。若い頃を知る人たちから見ると、ずいぶんと貫禄が付いたように見えるはず 

photo by Luna Rossa Prada Pirelli

 

 

独自のLEQ12を進水させたもう一つのチーム、英国のイネオス・ブリタニアはこの日記原稿を書いている2022年12月12日現在は、そのLEQ12〈T6〉の曳航テストをしていて、その翌週からセーリングでのテストに入るとしている。このチームは、セールの推力の中心となる高さのポール(マスト)を〈T6〉と曳航ボートに立てて、その高さで曳航するテストを計画していたが、それがLEQ12によるテストで許されている範囲を逸脱するという抗議を他チームから受け、その方法での曳航試験を諦めている。 

 

 

LEQ12〈T6〉。上下架作業のためにデッキスタンションが立てられているが、水面に浮くと取り払われる。空気の流れを動力にして船体は空中を滑空するが、その翼は水中にある。人類が創り出した未知との遭遇 

photo by C.Gregory | Ineos Britannia

 

 

第37回ACに向けてクルマのF1のメルセデスAMGペトロナスF1とタッグを組んでレース艇開発を進めるようになってから、イネオス・ブリタニアのレース艇開発のトレンドは大きく変わった。あれほどこだわっていたアンヘデラルフォイル(ヘの字形に下向きに下がったフォイル)をスッパリと捨てて水平翼のフォイルになり、しかもそのフォイルはずいぶん大きく見える。 

それにしてもイネオス・ブリタニアのLEQ12〈T6〉の、ステルス戦闘機をイメージさせるようなカタチにはゾクゾクさせられる。まるでSF映画を観ているようでもある。数年前に、セーリングヨットがこんなカタチを持つようになると想像し得たセーラーが何人いただろうか?セーリングヨットのデザインが、クルマのF1デザインと密接に関わり合うようになるなんて、誰が想像し得ただろうか? ワタクシはこのことを、悪くないと思う。アメリカズカップの世界が、セーリングの世界が、さらに面白くなってきたと思う。素直にそう思う。 

それはそうと、スペインのバルセロナで2024年10月に開催される第37回ACのレーススケジュールが発表された。それによると第1レースは2024年10月12日。勝敗は7勝先勝で決する。 

ACファンの皆さまにおかれては、早めに航空チケットとホテルを押さえたほうがいいかもですね。 

 

 

第37回アメリカズカップ本戦のレース日程表。気になるウイメンズAC、ユースAC、挑戦者シリーズの日程は未発表のまま 

 

 

2023~2024年の大まかな流れ

 

 

(文=西村一広)

※本記事は月刊『Kazi』2月号(1月5日発売)に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ

 

 

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西村一広

Kazu Nishimura

小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。 

 


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