初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』12月号に掲載された内容を再集録するものだ。今回は後編のその2(編集部)
その1はこちら↓
AC日記12|11カ月後に開催迫る第37回アメリカズカップ(1)
※メインカット写真|photo by Ian Roman America's Cup | バルセロナ港内のアメリカズカップ・ヴィレッジに建設が進む各チームのコンパウンドや整備施設などのインフラ。バルセロナのウォータフロントが2024年に向けて再開発されている
ALINGHI RED BULL RACING
アリンギ・レッドブルレーシング(スイス)
photo by America's Cup AC37 Event Limited
2003年の第31回大会でラッセル・クーツ以下数名のETNZの中枢メンバーを得てAC界にデビューすると同時にカップを手に入れたスイスのビリオネイヤー、エルネスト・ベルタレッリだが、2010年の、水線長90ftの巨大カタマラン対トライマランによる変則マッチとなった第33回ACでは、ラッセル・クーツ率いる米国チームに惨敗した。
その敗退から13年を経て、ベルタレッリは、今度は若いスイス人セーラーたちで組織したセーリングチームを作ってACの世界に復帰してきた。
新艇設計チームを率いるのはスペイン人天才デザイナー、マルセリーノ・ボティン。それをF1のレッドブルレーシングの開発チームがサポートする。
AMERICAN MAGIC
アメリカンマジック(米国)
photo by Ian Roman America's Cup
NZ人セーラーのディーン・バーカーが放出されて、オリンピック金メダリストでありモスの世界チャンピオンである英国人のポール・グッディソンが一人で孤軍奮闘していたセーリングチームに、当代一のフォイリングセーラーの一人であるオーストラリア人のトム・スリングズビーが加わって、この米国組織は一気に挑戦者グループで最強のセーリングチームを持つことになった。
ただし、ACは、強いセーリングチームを持つだけでは勝つことはできない。速いレース艇を開発することはセーリングチームと同様に重要だし、組織の円滑な運営も重要。まさにこのチームの不安要素は、ボティンが抜けた後のレース艇設計陣と、東海岸米国人が中心の組織の運営術。
トム・スリングズビー(右)とポール・グッディソンの最強コンビが実現したアメリカンマジックのセーリングチーム。ニューヨークYCが1983年に失ったカップを取り戻す原動力になれるか
photo by Ian Roman America's Cup
ORIENT EXPRESS RACING
オリエントエクスプレス・レーシング(フランス)
photo by Ian Roman America's Cup
この遅れてきた挑戦チームの母体は、2度AC挑戦キャンペーンを張ったフランスの旧Kチャレンジ。スポンサーは、フランスのホテル運営企業のアコー・ホテルグループ。ラッフルズホテルや、フランスをはじめヨーロッパでよく目にする「イビス」や「メルキュール」など、44ものホテルブランドを傘下に置くグループ企業で、チーム名「オリエントエクスプレス」も、そのホテルブランドの一つ。
セーリングチームは、クォンタン・ドラピエ、ケビン・ペポネットを中心とする若いチームで、SailGPのフランスチームとしても活躍中。
このチームの中枢には、2017年の第35回ACに挑戦したフランスの英雄フランク・カマも名を連ねている。
地中海でACが開催されるのは、2010年にスペインのバレンシアで第33回大会が開催されて以来のことになる。開催地から母国が最もアウェイなのは、皮肉なことに防衛チームのNZ
photo by Ian Roman America's Cup
防衛者、挑戦者の各セーリングチームは、その多様なコンディションでのセーリングに対応すべくトレーニングを積んでいる。セーラーたちのその技量の差が勝敗に及ぼす影響は少なくないだろう。しかし、その多様なコンディションに対峙しなければいけないのはセーラーたちだけではない。
フォイル形状やシステムを数種類に分けて設計し、構築し、それらを、予想するコンディションに合わせて使い分けるためのデータを分析しておかなければならない開発チームに掛かるプレッシャーも、半端ではないはずだ。
第37回AC争奪戦を管理するプロトコル(議定書)には、レースを行う風速の上限と下限が定められている。各チームのレース艇開発陣は、その風速条件と、それ以外にも細かく定められている設計上の縛りの中で、数えきれないくらいの変数を組み合わせながら、勝利につながるベストのデザインとコントロールシステムを探し出さなければならない。
その現場では、航空工学や、AIが重要な任務を担うシミュレーターを含めたメカトロニクスが絡み合い、これまでの、水面上を傾いてゆっくりと走るAC艇の設計作業からは、異次元と言えるところまで進化し複雑化した開発競争が、舞台裏で繰り広げられているようなのである。
今大会のスキッパーたち(手前)
photo by America's Cup AC37 Event Limited
セーリング競技は、選手寿命の長いスポーツだと言われてきた。もちろん、多くの伝統的なワンデザインクラスや、いくつかの種類の外洋レースは、これからも変わらずにそういうスポーツであり続け、年配のベテランが若いセーラーを向こうに回して勝つことだってできるだろう。
しかし、少なくともフォイリングヨットでのレースは、この先その常識は通用しなくなっていくのだと思う。フォイリングでのレースの歴史が長いモス級を見ても、世界選手権での上位選手の顔ぶれは、年々とは言わなくても、3年も経つと入れ替わっている。それくらい世代交代のサイクルが速いのだ。
フォイリングヨットで競われるようになったACにも、そんな波が押し寄せてきている。すでに前々回大会から、ベテランの経験が、瞬発力のある若い運動神経に敵わないレガッタへと進化したと言えるかもしれない。セーリング競技の頂点であるACで、才能にあふれた若いセーラーたちが活躍することは、セーリングというスポーツの発展にとって、決して悪いことではないと思う。
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2023年12月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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