初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』12月号に掲載された内容を再集録するものだ。今回は、その1とその2、二回に分けて掲載する(編集部)
※メインカット写真|photo by Ricardo Pinto America's Cup | スポーツの世界で最も古い歴史を誇るアメリカズカップ。そのカップを保持する防衛者ETNZに、五つの国のヨットクラブが挑戦する第37回AC。舞台は地中海のバルセロナ
来年の今頃、第37回アメリカズカップ(以下、AC)の勝者はすでに決まっている。いくつかの新チームが、その次の大会に挑戦の名乗りを上げ、それが海外のセーリングメディアの話題になったりしていることだろう。そこに日本チームの噂は混ざっているだろうか? ぜひ、混ざっていて欲しい。
そんなことを密かに期待しながら、今回のこの日記は、11カ月後に迫ったその第37回ACの現時点での情報を2回に分けてレポートする。
前回の、2021年の第36回ACは、その前の第35回大会でカップを14年ぶりに奪回したロイヤル・ニュージーランド・スコードロンの代表チーム、エミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)の防衛戦だった。AC争奪戦の長い歴史の中では、最近のごくわずかな例を除くと、当然のこととして、その大会は防衛ヨットクラブのホームウオーターであるNZオークランドに挑戦チームたちを呼び付けて開催され、王者ETNZが圧倒的な強さで防衛を果たした。
そうして1年後に迫った第37回AC。ETNZが狙っているのは、第35回、第36回に続く、AC争奪戦3連勝だ。ヨットクラブとしてのAC連勝記録を見てみると、米国ニューヨーク・ヨットクラブの25連勝という、19世紀から20世紀にまたがるとてつもない記録があるが、実際にレースを戦うクラブ代表チームというくくりで連勝記録を見てみると、一つのチームがAC争奪戦に3連勝したことはない。
その記録に挑むETNZにとっては来年の第37回ACは負けられない防衛戦になるが、その防衛戦の開催地は、過去のこの連載でも詳報した紆余曲折があって、母国NZではなく、地球のほぼ反対側のスペインのバルセロナになった。
EMIRATES TEAM NEW ZEALAND
エミレーツ・チームニュージーランド
photo by Ian Roman America's Cup
前回のAC戦でプラダが見せた、AC75クラスの両舷にヘルムスマンを配する戦法を、この防衛チームはいち早く取り入れて、ネイサン・アウタリッジを獲得することに成功した。アウタリッジはピーター・バーリングとは良きライバルであるだけでなく、49er級ではコーチをかって出るほどの仲でもあり、2019年にはニュージーランド人女性(お父さまはかつてのチームニュージーランドの創始者の一人)と結婚して、今ではオージーキウイだ。バーリングやこのチームとの親和性はとてもいい。
スリングズビーが米国チームに加入してポール・グッディソンとタッグを組んだ今、ETNZにとってアウタリッジの獲得は一層重要な意味を持つことになった。
INEOS BRITANNIA
イネオス・ブリタニア(英国)
photo by Ricardo Pinto America's Cup
3度目の正直を狙うエインズリー
今回の第37回AC争奪戦に最初に挑戦状を提出し、挑戦者グループの代表格として防衛者と協議して今回のAC争奪戦の詳細を詰める。
チームを率いるベン・エインズリーは、オリンピック金メダル4個、銀メダル1個を持つ現役のレジェンドセーラー。2013年の第34回ACでは、米国チームのタクティシャンとしてAC勝利を経験した。英国チームのスキッパーとして第35回と第36回ACに挑むも、予選敗退。今回第37回ACで3度目の正直を狙う。
このチームの挑戦資金を全面的に拠出するジム・ラトクリフは世界4位の多国籍巨大化学企業イネオス・キャピタル社の創業オーナー。イネオス傘下のメルセデス-AMGも挑戦艇開発に参画して重要な役割を担う。
LUNA ROSSA PRADA PIRELLI
ルナロッサ・プラダ・ピレリ(イタリア)
photo by America's Cup AC37 Event Limited
第36回ACでは、このチームが予選シリーズを勝ち抜いて挑戦者となった。このチームをボスとして率いるプラダのパトリツィオ・ベルテッリにとっては2000年の第30回大会で初めてACに挑戦して以来、7度目のACチャレンジになる。ラッキーセブンなのである。
今回もドライバーを務めるジミー・スピットヒルは、第35回大会でETNZの若いピーター・バーリングに敗れてカップを失い、第36回大会でもカップ奪還はならず、バーリングに2連敗した。このままでは、とても引退する訳にはいかないのだろう。
セーリングチームのコーチには往年の470セーラーには懐かしいニュージーランド人セーラー、ハーミッシュ・ウイルコックスの名前がある。
第37回ACの開催地が地中海の、スペインのバルセロナになることが唐突に決まったときには違和感が半端なかったが、考えてみればバルセロナは、オリンピックも開催したし、クルマのF1グランプリも開催しているし、サッカーチャンピオンズリーグの強豪中の強豪FCバルセロナを抱えて大きな試合も日常的に開催している都市である。ホテルやレストランや、サグラダファミリアをはじめとする観光スポットなど、世界各国からの観光客を受け入れるインフラの充実ぶりも含めて、世界最高峰のセーリングイベントAC争奪戦を開催するには、最上レベルの選択肢だったと言えるのかも知れない。
その一方で、競技場としての海は、非常に繊細なハンドリングを求められつつ高速で僅差を競う大型モノハルフォイラーには手強いものになる。
バルセロナは地中海にお腹を突き出したような海岸線沿いの街で、遠く遮るもののない外海に面している。その日その日の気圧配置によって、大きなうねりと強風が押し寄せることもあれば、まったりとした微風、平水の海面になることもある。
第37回ACの挑戦者を決定する予選シリーズは、2024年8月29日の木曜日に始まる。そして遅くとも10月7日には、第37回ACの挑戦者が決定する。そしてその挑戦者と防衛者ETNZが対峙するAC本戦は、それから5日後の10月12日の土曜日に第1レースがスタートする予定になっている。
夏場、バルセロナ沖の海上は、統計的には風は弱いことが多いとされている。しかし、初秋になると、強い風と大きなうねりが押し寄せる日が混じってくるようになる。
そんな、幅の広いコンディションが予想される中でのフォイリングモノハルによるレース。
第37回AC争奪戦は、これまでの長い歴史の中でも、最もシリアスなレガッタになるかもしれないと言われている。
(その2へ続く)
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2023年12月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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