初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』1月号に掲載された内容を再集録するものだ。(編集部)
※メインカット写真|photo by Emirates Team New Zealand | アメリカズカップにおけるシミュレーター技術萌芽の噂は、第35回ACに挑戦して勝利したETNZ絡みで話題に上ったことがあったが、第36回大会ではETNZを含む複数のACチームが実艇完成前のトレーニング用として当たり前のように使っていた
2024年の第37回アメリカズカップ(以下、AC)での連続防衛に向けて着々と準備を進めるエミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)は、さらに先の時代も見据えているように見える。
半年前の2023年5月、ETNZは全長7mの小型キールボート、エリオット7を10隻購入し、チームの母体ヨットクラブであるロイヤルニュージーランドヨットスコードロンのユース育成上級プログラムの練習艇に組み入れた。
このプログラムは、ディンギー育ちの子どもたちを高性能キールボートに乗せて、フリートレースにもマッチレースにも秀でたキールボートセーラーにステップアップさせる、エリートセーラー養成プログラムだ。つまりETNZは、他の国のセーリング組織がいまだ実現できないでいるオールラウンドセーラー育成プログラムを、世界に先駆けてすでに推し進めているのである。
この育成プログラムを軌道に乗せれば、ETNZは自国民の優秀な若手セーラーを継続的に補強できることになるし、ベテランに属する年齢になったセーリングチームメンバーが、この若手育成コーチへと転身できる道が新しく開くことにもつながり、才能ある選手たちが長いスパンのサステナブルなセーリング人生を送ることも可能になる。
さらに、サステナブルであることを目指すETNZの組織運営の模索は、独自のプログラムによるこの若手選手育成だけにとどまらない。
ETNZは、自らの組織自体を永続的に存続させるために、これまで存在したACチームが思い付きもしなかったチーム運営方法の道を探り当て、独創的なビジネスモデルを実現させようとしている。
これまでのACの長い歴史の中で、ACを防衛したり、ACに挑戦したりするチームは全て、大金持ちの個人パトロンか、企業スポンサーが拠出する資金によって活動するセーリングチームだった。
正確にいうと、現在のETNZも、開催地バルセロナ市やカタルーニャ州といった自治体や、エミレーツ航空やトヨタなどの企業からの資金で活動している。だから逆に言うと、それらパトロンやスポンサーからの資金提供の契約期間が終了すると同時にACチームも解散することになる。新たにACに挑戦したい者たちは、再びスポンサー集めに奔走する。それがこれまでのACチームの常識であり、チームを存続させたくても存続できない泣きどころでもあった。
これがETNZが開発したAC40クラスのシミュレーター。左写真のように操縦席に座り、前方モニターに映る自艇の動きを見ながらAC40クラスを操縦する。セーリングもすごい時代に突入した
photo by Emirates Team New Zealand
しかしETNZはその常識の殻を破ることに思い至った。それが、このチームがこれまで積み上げてきたAC挑戦と防衛の長い歴史を通して、チームが所有するに至った人的財産と知的財産、高度なハイテク技術をAC以外の産業分野に生かすというビジネスモデル、『ETNZデザインワークス』である。
つまり、そのビジネスによって自分たち自身で稼ぐ資金を活動資金にして、自分たち自身のAC活動をサステナブルなものにしようというのである。
これまでのACチームが誰かお金持ちの資金に頼ってACに挑戦しようとする甘えた子どものような組織なのに対して、自分たちに必要な金は自分たちで稼ぐ! という、なんとも大人っぽくてカッコいい理念を持つ計画だなあと、改めて思う。
ETNZはすでに、自身で開発設計したAC40クラスを、建造元のマコナギーボートと組んで一般セーラー向けに販売を開始している。11月に開催された世界最大のヨット関連商品の展示会、メッツショー(オランダ)にAC40のシミュレーターを展示し、オーナー候補者への体験会も行なった。
ETNZデザインワークスが開発した商品には、フォイリングチェイスゼロという燃料電池フォイラーがあるし、世界最速のランドヨットもある。AC40クラスで開発されたフライングオートパイロットもあれば、すでにAC40のレースに使われている独自のシステムによる自律的マークブイの設計製造技術もある。
10カ月後に始まる次回AC防衛戦に向けてチーム全体が超多忙の中、勝っても負けても継続予定のAC活動の資金稼ぎのために、これらの『ETNZデザインワークス』の技術と製品を複合させた工業製品の潜在的クライアントともすでに商談が進められているという。
これもETNZデザインワークスが開発し、世界最速記録を樹立したランドヨット〈ホロヌク〉。この術もETNZ独自のもので、陸上ロジスティックス業界での技術応用を目指す
photo by Emirates Team New Zealand
10月のAC40イベントで初めてお目見えした自律運行型マークブイ(右端)。ETNZ独自の通信操縦プログラムによって、コースの向きや距離の変更に即座に対応していた
photo by Ricardo Pinto / America's Cup
ETNZがトヨタの技術援助を得て開発した燃料電池フォイリングボート。第37回AC公式スポンサーのYANMARのロゴが船体中央に躍る。大分県のヤンマー施設近くでよく目にするTOYOTAロゴ入りの実験艇とは別のもの?
photo by Ricardo Pinto / America's Cup
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2024年1月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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