『KAZI 1993年11月号』の安全特集内で掲載された「漂流実験」……というかライフラフト体験記の後編です。
いよいよ漂流が始まります。
前編同様、記載や写真は30年前のママ。見出しを入れて読みやすくはしてはいます。
『KAZI』 1993年11月号記事再掲載
ライフラフトの17時間 (後編)
室内はかなり狭い。6人乗りのラフトに5人で乗っているのだが、取材用の機材の入ったアイスボックスがあるので、これが1人分の座る場所を取ってしまう。室内には艤装品の入った白い布袋がころがっており、これも場所を取る。なんとはなしにそれぞれ座り込み一息付くが、まず何をしていいのか分からなかった。天気はいいし、母船と撮影用のモーターボートが付いていてくれるという、実に過保護な漂流者なのだ。
とりあえずまだ明るいので、標識灯と室内灯を消す。天井にぶら下がっているプラスチックのピンを挿し込むと消えるようになっている。説明がついているので、すぐに理解できた。次に佐藤がシーアンカーを流そうと言いだす。なるほど、見ると背もたれの部分に「シーアンカー」と書いてあるではないか。さっそく取り出して流す。
海は穏やかなので別段何の変化もないが。床の気室に空気を入れることにした。以前何かで読んだことがあるのを思い出したのだ。艤装品袋にフイゴが入っているようだ。艤装品袋は縦長で口が狭いので扱いにくい。ゴソゴソあさり、フイゴを引きずりだし、床下に空気を入れる。尻に直接触れるかのような海水の感触が無くなり、ぐっと居心地が良くなった。
床下気室の空気量を変えることで、室温の調節もできるようだ。ここで少し眠ることにする。なんだか疲れた。
少しウトウトしていたが、ほかの隊員は飽きてきたのか手持ちぶさたで、艤装品袋の中を見てみようということになった。床の上に広げて一つ一つチェック。床が濡れていたので、スポンジで汲み出したり、信号用の鏡を使ってみたりした。それにしてもラフトの揺れにはどうも馴染めない。
つまり、硬い部分がないのである。ラフト全体が捻じれるようにしながら揺れるのだ。船酔いしやすい揺れである。おかげで、艤装品をいじくる興味も薄れてしまい、再びウトウトすることにする。漂流者は暇なのだ。
そんな中でも、永井は担当編集者として、30分おきに積み込んだGPSをもとにポジションをチェック。各自の脈や体温なども記録をつづけた。
艇内に備え付けられている艤装品袋。遭難者にとってはまさに宝の山だ。結構大きく、邪魔だと思う時もあった
日光信号鏡。真ん中に穴があいている。この穴を使った狙いの定め方が書いてあったが、意味がよくわからなかった。救難信号を出す、というのは、漂流者にとって一番重要な仕事だ
船員災害防止協会(通称、船災防)で出している「サバイバル・トレーニング=膨脹式救命いかだの取り扱い心得と救命訓練」というマニュアルによると、艇体放棄後の人命喪失の最大の原因は体温低下であるという。今回我々は、それぞれ異なる服装で漂流に臨み、その違いを見てみることにした。
まず筆者は、通常この季節回航業務を行うときに着ているであろう装備。オーロン、クロロファイバーの下着にムストー社製のカッパ。カッパのジャケットには、内側に浮力と保温性のある「オーシャン ボイアンシー ウエストコート」を付けてある。
永井はちょうど寝ておきたような格好。Tシャツにトレーナー、下にはナイロン製のロングパンツだ。カッパはなし。
寺澤は、濡れたパンツー丁の上にカッパという無謀な格好。シャツも着ていない。彼にはいつも不心得クルーの役どころばかりやらせて申し訳ないが、「編集部内のダチョウ倶楽部」だからしかたないのだ。
保温具に潜り込む寺澤。それにしても艇内は狭い。実験後の感想。「高槻さんの寝相が悪く、うっとうしかった」。この実験以来、寺澤の態度がやけに冷たい
佐藤はカッパの下にポロシャツとセーリングパンツというごく普通の装備だが、カヤッカーの内田には、正統派シーカヤックスタイルをしてもらった。主に登山家が使っている装備の流用だ。
やはり、寺澤が最初に寒さを訴えた。背筋がぞくぞくするという。無理もない。艤装品の中に保温具があったのでこれを使わせた。海水浴場で砂の上に敷いて使う銀色のシートがあるが、同じような材料でできた寝袋だ。これで、すっかり温かくなったようだが、この保温具は2つしか入っていない。もう一つはカッパを着ていない永井が使うことにした。この保温具は防水性もかなり高いようで、結局永井はほとんど濡れずに済んだようだ。
しかし、6人乗りのラフトに保温具が2つというのはよく分からない。喧嘩の種になりそうな気もする。とにかく、退船時にはできるだけ厚着をするべきである。また、先のサバイバルマニュアルによれば、乗り込む際に、できるだけ身体をぬらさないこと、とある。
さらにマニュアルに寒さ対策がいくつか列挙してあるので挙げてみよう。
アカ汲み、床気室へ空気を入れ、出入り口を閉鎖するなど艇内の保温を図る。また、ビルジがたまっていれば救命胴衣の上に腰をおろす。
身を寄せ合ったり、体を動かしてマッサージをおこなう。ただし、極端に体を移動すると転覆する危険もあるし、体を動かし過ぎて疲労してしまうこともあるので注意。靴ひもはゆるめ、お互いに腋の下に相手の足を抱え込むのもいいそうだ。
今回の実験の場合、ほかのメンバーはこの季節にしては十分な装備をしていたので、最終的には下着までグチャグチャに濡れてはいたが、寒さはまったく感じなかった。
同マニュアルによると、水、食料共に漂流開始後24時間は飲用しない、とある。確かにこの時点で餓えも渇きもなかったが、ためしに搭載されている救難食料を食べてみた。
非常食を食べてみる。まずい。手前左側にナイフが備え付けられている場所が見える
カロリーメイトという栄養食品をレース中食べさせられたことがあるが、見た目はちょっとあんな感じだ。味はラクガンに近い。ボソボソしててまずい。味に贅沢は言ってられないが、なにより分けるのに苦労しそうだ。なぜならば、筋も何も入っていないので、正確に割り分けるのが難しいのである。極限状態ではもめ事の原因になるかもしれない。釣り道具は入っていなかった。
水の入ったボトルは栓をねじ切るようになっている。小さなコップが付いていて、これで分け合って飲む。ボトルの口は非常に小さい。ドボドボ出てしまったり、誤ってこぼしたりすることがないように考慮されているのだと思う。
実は我々は今回「サバイバー06」という手動脱塩造水器を積み込んでいた。冒険カヤッカーの内田も遠征時にはいつも持って行動しているそうだが、まだ1回も使ったことがないという。一度使ってしまうと定期的な手入れが必要なんだそうである。この機会にということで、さっそく使ってみた。
アメリカRecoveryEngineering 社製の脱塩造水装置。これは手動式
細いシリコンホースを海に入れ、フイゴのような本体レバーをシコシコすると、反対側のホースからポタポタと真水が垂れてくる。うまい。ラフトに備え付けてあったビニール臭い清水よりも、よっぽどおいしかった。使いつづける限り、いつまでも使えるというから、このサバイバーさえあれば、茫漠とした海も見渡すかぎりの貯水池ということになる。
数年前に、斉藤 実(注)というジャーナリストが、「海水も真水と混ぜれば飲める」という説を証明するために漂流実験をおこなった。漂流者が死亡する原因の多くは、深い絶望感からくる精神の異常にあるともいう。海水が飲めて、魚を釣って、人間はほぼ無限に海上で生き延びることができる、ということが証明できれば、どれだけ多くの漂流者が勇気づけられることだろう。斉藤 実は体を張って実験を繰り返し、海水も飲めるという結論に達した。
しかし、先のマニュアルによれば、
海水の飲用について「以前は海水は少しなら飲んでも良いという考えもあったが、現在、海水の飲用は飲んだ量より多い体内の水分が排出されるので飲んではいけないとされています」 と記されている。
この「サバイバー」さえあれば、このような論争も必要なくなるということか。外洋を航海し、海の真っ只中に放り出される可能性があるならば、「サバイバー」や釣り道具、イーパーブ(EPIRB:衛星非常用位置指示無線標識)といった非常持ちだし備品を一まとめにしておき、ラフトに持ち込む必要があるのかもしれない。まあ、長期間の漂流におけるサバイバルについては、また少しテーマが違うので別の機会に譲りたい。
手動脱塩造水器「サバイバー06」を使う佐藤。水はポタポタという感じで出てくるので、ゴクゴク飲めるほどろ過するのは大変
(注)この記事に出てくる斎藤 実氏はヨット〈酒呑童子〉の斎藤 実氏とは同姓同名の別人で、1996~1975年まで4度に渡って漂流実験を行い、最後は本当に遭難してしまいマグロ漁船に救助されています。『漂流実験―ヘノカッパII世号の闘い』他著
一段落したら、みんなラフトに慣れてきたのか、飽きたのか、出入り口から身を乗り出して、小便をしたり、煙草を吸ったりする。ビールがあればなあ、などと話す。
これも、マニュアルによると、アルコール、タバコは持ち込んではならないとされているようで、アルコールは体熱の放散、寒さに対する抵抗の減少、水分の排泄を促す、のだそうだ。煙草は、寒冷地では手足の血行を悪くし、凍傷が生じやすくなったり、のどの渇きを増大させるばかりか、非喫煙者との人間関係がまずくなる、と記されている。
人間関係は確かに難しいことのようで、だんだん夜も遅くなっていくと、ラフト内の狭さに辟易してくる。5人で乗っているので、取材用機材を入れたアイスボックスと艤装品袋をおいた部分を中心に扇状に座っている。
これは実験後に聞いたのだが、両端にいた内田と寺澤は真ん中が楽そうに見えて、内側に居た3人は両端が快適そうに見えたという。また筆者のいびきがうるさく、おまけに寝相が悪いと文句を言われた。
もちろん今回の実験では、我々は必ず陸地に戻れて、戻れば普通の社会的上下関係などもあるので喧嘩にはならないが、本当の漂流ではいろいろ問題がおきてくるのだろう。
今回は筆者が船長役であった。最後まで筆者の指示に従って全員行動してくれていたのであるが、もしも本当に船が遭難してラフトで漂流しているとしたら、どうだろうか。船が遭難する過程に、船長の判断ミスがどこかで原因している可能性は高い。漂流に移った時点で、乗組員の船長に対する信頼感が薄れていることは十分に考えられる。
そんな状況で、たとえば今回でいうならば内田のように、第2のリーダーになりうる資質を持った人間がいた場合、容易にチームワークが乱れることは想像に難くない。狭い室内にひしめき合い、絶望感と戦う乗組員にとって、人間関係の維持は重要で、しかし、最も難しいことなのかもしれない。
夜中、ぐっすり寝入っていると、頭からどさーっと水が降ってきた。全員飛び起きる。雨が激しく降っているようだ。波も出てきている。室内灯を点ける。天幕の支柱の空気が減って垂れ下がり、溜まった雨水が一気にこぼれ落ちたようだ。
フイゴで支柱に空気を入れる。上気室も大分しぼんでいる。こちらにも空気を入れたが、どうやらこちらは、多少空気が抜けているぐらいの方が寝心地が良かったようだ。もちろん浮力には問題ない。雨が激しく、出入り口のファスナーから雨水が絶え間なく漏ってくる。床はびしょびしょ、カッパの下はぐちゃぐちゃに濡れている。
特に体重が重い佐藤のところによく溜まる。誰かが動くとビルジも流れ、「動くなよ!!」と文句を言うことになる。何度かビルジを汲むが、出入り口は上から開くようになっているので、ビルジを捨てようとして下手に開けると雨が吹き込んでくる。あまり大量にビルジが溜まると転覆しやすくなるそうだが、この程度なら大丈夫だろう。
最後はそのままほおっておいた。実際、実験途中、一度も転覆の心配は感じなかった。母船から見ていたスタッフには、非常にたよりなく、今にも転覆しそうに見えたそうだが。
やがて朝になった。室内は狭く、服はぐっしょり濡れそぼり、けっして快適とは言えない。が、大時化のワッチオフ、カッパを着たまま、取り込んだセールに埋もれるようにして寝ている、というような状況に似ている。幾度もそのような状況を強いられてきた筆者には、それほど苦痛でもなかった。
時間が来たらたらデッキに出てワッチに入る、という必要がないだけ楽だ。ただ、雨足は大分激しいようで、恐らく外は視界が悪いに違いない。
母船が我々を見失っていないか、やや不安ではある。無線で呼んでみたがまったく応答がない。かすかにエンジンの音が聞こえたので、出入り口をわずかに開けて外を見てみた。激しい雨の中、母船が近寄って来る。
母船に乗った田久保編集チーフが、実験を中止しよう、と大声で言ってきた。ラフトの上の我々は迷うことなく従った。朝6時、実験は終了した。わずか17時間ほどで切り上げることになって残念である。誰か1人がギブアップするまで漂流をつづけたかったのであるが。
この日は結局、横須賀の橋が落ちるなど、記録的な大雨であった。天幕の下でただ眠っていればいい我々に比べ、雨に叩かれながら、デッキでワッチする母船乗組員の方が重労働だったかもしれない。風も強く、実験海域からハーバーまで戻るのも大変な状況であったわけで、中止の判断は正しかったと言える。
ほんのわずかな、お遊びの漂流体験ではあったが、やってみなければ分からないことは多い。一生使うことはないであろう、しかし、その時には非常に重要な安全備品、ライフラフト。もしも、いつか、ライフラフトでの漂流が現実のものとなった時、この記事を読んだ読者が、多少なりとも落ち着いて行動できれば幸いである。そんなケースに遭遇したくないのはいうまでもないが。
最後に今回の実験に協力してくれた海上保安庁、及び、近隣漁協の皆様にお礼を申し上げたい。特に快く機材を提供してくれた東洋ゴム工業には感謝したい。同時にこれは、同社の安全に対する取り組み方が、なみなみならぬことの証明でもあると思う。
[『KAZI』1993年11月号より再掲]
今回『Kazi』2023年6月号の記事を書いてから、改めて30年前のこの漂流体験記を読むと反省点多し。例えば、教科書である『RYA Sea Survival HANDBOOK』には「ライフラフトに倒れ込んでリラックスしたいという誘惑に負けてはいけない。今は休む時ではない」とあるも、30年前の我々はすぐに眠りこんでいるわけで。
ただ、確か岸の近くでは岩礁に吹き流されたりしたらかえって危険ということで、ほんとに相模湾のど真ん中で漂流してみたんです。いやー、よくやったなぁと思うけど。
ぜひ、6月号の特集をお読みください。
『Kazi』2023年6月号。特集「生きて帰る」P34-35
(文=高槻和宏、写真=舵社 協力=東洋ゴム工業、三洋商事、第3管区海上保安本部 ※協力は当時のもの)
※関連記事は、月刊『Kazi』2023年6月号にも掲載。バックナンバーおよび電子版をぜひ
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