小松一憲が独白! オリンピック日本代表3回、ソリング級の思い出

2024.02.05

ミスター470級として知られるスーパーセーラー小松一憲さん。

470級を引退後はソリング級に転向し、実に3回日本代表となり、オリンピックへ参戦を果たしました。その、クラス転向当時の気持ちを、小松さんが独白!

そして現在。2023年10月に日本ソリング協会が開催するソリング級全日本大会が50回記念大会を迎えました。

月刊『Kazi』3月号では、ソリング級の歴史をひも解く記事を掲載。この取材に際し、小松さんからいただいた原稿を、舵オンライン限定、特別にノーカット版で掲載します(舵オンライン編集部)。

 

 

小松一憲 Kazunori Komatsu

1948年生まれ、神奈川県横浜育ち。
470級で1回(1976年モントリオール五輪)、ソリング級で3回(1988年ソウル五輪、1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪)と、オリンピック日本代表となる。
2007年シドニー五輪では監督を務めた。
ヤマハ艇によりキールボートでも活躍。
1993~1994年のウイットブレッド世界一周レースでは、ヤマハチームの一員としてW60クラスで優勝。
2005~2012年にかけてアビームコンサルティングのセーリングチームのコーチを務め、原田龍之介/吉田雄悟、近藤(吉田)愛/鎌田奈緒子、近藤(吉田)愛/田畑(梶本)和歌子の男女3チームを、日本代表としてオリンピックに送り出す。
現在は、早稲田大学と東京大学のヨット部のコーチを務める。 

 

 

ソリング級に転向したきっかけ

28歳でモントリオールオリンピックに出場(成績10位)、その後1980年モスクワ、1984年ロスアンゼルスと挑戦したのですが代表になる事ができませんでした。 

その間470級全日本選手権10回出場(6回優勝)、世界選手権9回出場(2、6、9位)を機に470級を引退(卒業)することを決意しました。3回のオリンピックを経て470級の適性体重及び体格が確立し、自分の当時の体格(177センチ・68キロ)がスキッパーとして不向きであることが分かってきました。 

また当時の470級には、大学を卒業した元気の良い若者が次々と出てくる中にあって、35歳を過ぎて乗る艇種では無いという風潮がありました。 

 

 

私にとってのソリング級とは 

当時盛んだったクルーザーのレース(相模湾の主要な島回り)でヤマハ発動機が製造する25、30、33フィートの艇の舵をとり、それなりの成績を上げていました。 

常に1位でなくては喜んでもらえない空気を感じながらのレース参加と、レースだけで無く開発段階のテストから乗り込んだ事で自分のヨットレーシングのスキルはアップしており、3人乗りでスピンを使うキールボートのソリング級にはすんなり入れるのでは無いかと考えました。 

 

 

1978年に江の島ヨットハーバー沖で開催された第3回ソリング級全日本大会

 

 

当時のソリング級の世界フリートの様子

3人乗りで競うソリング級の適性体重は3人の合計が270~300kg、世界でレースに使用される艇はカナダとデンマークにあった2社の造船所のもので占められており、チェストハーネスを付けてのハイクアウトは3人乗りのレーザークラスと言われていました。 

オリンピックで、すでに他のクラスで金メダルを獲得、中には複数個のメダルを獲得している、他のクラスでの世界チャンピオン、その他各国の顔と言える選手が集まり、ソリング級はまさに大人の世界、セーリング界の華のクラスでした。 

3人の中で一番重い選手が真ん中に乗ってハイクアウトするのですが、110~130kgの体重で機敏に動くことができ、筋力も持久力も備わり、ヨットレースの知識を持ってスピンを担当するヨットの乗り手を探すのは、今の日本でも簡単では無いと思います。
スキッパーの私が80~82kg、バウマンの花岡一夫が90~92 kg、ミドルの池田 正が92~98kg。チームとしては軽量でした。 

 

 

1988年8月22日、日本ヨット協会(当時)主催の壮行会のようす。東京・代々木の日本体育協会(現 日本スポーツ協会)の広場にて(KAZI誌1988年10月号より)

 

 

練習中の小松艇(KAZI誌1988年10月号より)

 

 

ソウル五輪に参戦する小松さん、花岡さん、池田さん

 

 

日本代表団の制服を着た小松さん

 

 

 

1988年、ソウル五輪ソリング級代表のメンバー(KAZI誌1988年11月号より)。右から小松一憲さん、花岡一夫さん、池田 正さん。最終成績は11位。第6レースでは3位を走るなど、世界と互角の走りを見せた 

 

 

ソウル五輪に挑んだ、3人の思い出

当時の私は、「日本は470級だけじゃ無い、日本人にだって勝負できることを証明してみせる」の一心でした。 

私と同年輩で関東学院大ヨット部・モントリオールオリンピック出場(フライングダッチマン級代表クルー)の花岡。花岡の後輩で関東学院大ヨット部・スナイプからフィン級に乗り継いでいた池田。 

何もかも一からの出発だったのに「どうせやるなら世界一!」と意気込み、とにかく負けず嫌いでやんちゃ、人の意見を聞かない私。 

社交的で常に笑顔、外国人でも日本人でも誰にも公平な花岡。 

静かで力持ち、闘志を持ちながらも人に優しい池田。 

性格は三者三様ながら、思いは一方向。
何も分からない、周りに競い合うチームはいない、指導者もサポートもいない、とにかく海に出て活路を見出そうと頑張りました。 

メルボルンの世界選手権、強風の第1レース、上マーク3位で回っての試合中、私は殴られて前歯を折りました。喧嘩も本気、とにかく本気でした。 

自分で言うと笑われるかもしれませんが我々は大健闘しました。 

36年前、世界の壁に向かい息盛んに挑んだ3人の思い出は私の宝です。 

*

若い時を共に過ごし、助けてもらった2人の素晴らしい相棒、当時サポートしてくれた全ての皆さまと、今も続くソリングとそれを楽しむ仲間に深く感謝します。 

 

 

高城秀光さん、藤原康治さんとともに、1992年バルセロナ五輪ソリング級代表として活躍した小松さん(1992年KAZI10月号にて)

 

 

1996年アトランタ五輪ソリング級で代表となった小松さん、迫間正敏さん、兵藤和行さん(1996年KAZI10月号より)

 

 

 

 

現在のソリング級は長野県・諏訪湖にベースを移し、多くのセーラーに愛され続けている。昨年50回記念全日本大会を終え、ますます盛り上がりを見せる。小松さんがソウル五輪で乗ったJ-33とアトランタ五輪で乗ったJ-35はいまだ健在!

 

 

 (本文=小松一憲 キャプション・写真=舵社) 

※関連記事は、月刊『Kazi』2024年3月号にも掲載予定。バックナンバーおよび電子版をぜひ  

 


あわせて読みたい!

●2/5発売、月刊『Kazi』2024年3月号|特集は「愛艇を磨く|メンテナンス、必須リスト100」

●ソリング全日本、50回記念大会速報!in 諏訪湖

●ヴァンデ・グローブの来日記者発表会を開催

 


ヨットレース

ヨットレース の記事をもっと読む