第38回アメリカズカップを巡る地殻変動。SailGPとの共存とACの未来|AC日記2026年3月号

2026.04.11

170年以上の歴史を誇るセーリング界の至宝アメリカズカップ(AC)と、プロ興行として躍進を続けるSailGP。これまで際どい距離感で“不可侵条約”を保ってきた両者のパワーバランスが、2026年、かつてない激動の局面を迎えています。グラント・ドールトン、パトリッツィオ・ベルテッリ、そしてラッセル・クーツ。かつての因縁が交錯する巨頭たちの思惑は、どこへ向かうのでしょうか。オークランドの最新状況を交え、予測不能なセーリング界の現状を西村一広さんが読み解きます。(編集部)

※本記事は月刊『Kazi』2026年3月号に掲載されたものです。

◆タイトル写真
第38回AC不参加を明言していたスイスのエルネスト・ベルタレッリ率いるアリンギが、前言撤回して挑戦表明。レッドブルとのスポンサー契約は解消し、次回ACはスイスの時計メーカー、チューダーとメインスポンサー契約しての挑戦になるという
photo by Ricardo Pinto / America's Cup

 

ACとSailGP

米国IT業界の伝説的成功者であり、「超」が付く世界的資産家であるラリー・エリソンが提供する莫大な準備資金と運営資金を元手に、ラッセル・クーツがセーリング界初のプロ選手による国際セーリングサーキットSailGPの構想を2018年の秋に発表して2019年にそれを実際に開幕させて以来、19世紀に始まり170年以上の歴史を持つセーリングスポーツ世界最高峰を自認するアメリカズカップ(以下、AC)は、SailGPと必然的に参加選手やスポンサー企業を共有しつつ、それぞれのイベントスケジュールが重なるのを避けるなどして、際どい距離を保ちながらも表向きは共存共栄、あるいは互いに不可侵条約状態を堅持してきたように見える。

SailGPのラッセル・クーツも当初からメディアには、ACと敵対しようとしている訳では決してなく、AC(参加艇の設計にはある程度の自由度を設けた、国対国ではなく、ヨットクラブ同士によるカップ争奪レース)とは本質的に目指すところが異なっていて、ワンデザインカタマランF50を使い、世界各国をまわって開催するレースによって、年ごとのチャンピオンの座を参加国のプロセーラーたちが競い合う、商業的に自立する国際的なプロサーキットレースを目指していくのだと説明してきた。

そんな7〜8年の流れの中で迎えた今年2026年。来年2027年に開催される予定の第38回AC争奪戦は、予想を下回る四つの挑戦ヨットクラブ(英国、イタリア、フランス、スイスからそれぞれ1クラブずつ)と一つの防衛ヨットクラブ(ロイヤルニュージーランド・ヨットスコードロン)を合わせた5チームによる大会になることがほぼ決定した(この原稿を仕上げている1月15日は、第38回AC挑戦のエントリー最終締切日の1月31日まで半月を残している時点)。
※編集部注:2月1日時点で、最終エントリー期限が3月31日まで延長されたことが報じられた

一方のSailGPの2026年シーズンは、今年第1戦の豪州フリーマントル戦(1月17、18日)から新しくスウェーデンチームが加わって、13チームが参加するサーキットになる。SailGP側の発表によると、今後サーキットに参加する方向で検討しているチームを合わせると、将来的に参加チームはさらに増えることになりそうだという。
挑戦チーム数が伸び悩んでいるAC側の関係者は、これを聞いて心穏やかではいられないだろう。

 


AC奪還のために組織されたはずのニューヨークヨットクラブ代表チーム、アメリカンマジックだが、第38回ACへの挑戦はせずに、SailGPに参戦する準備を進めている。その一環として、フロリダ州ペンサコーラに開設した彼らの新拠点を、SailGPにも開放すると発表した
photo by American Magic

急展開

上記までの原稿は、比較的に早いうちに書き進めていたのだが、原稿締切間際になって新たな情報が入ってきた。

第38回ACへの挑戦を取りやめた米国のアメリカンマジックが、同組織がフロリダのペンサコーラで完成させたセーリングスポーツセンターであり、技術開発センターでもある施設を、SailGP運営組織と共同で活用すると発表した。

そして、アメリカンマジックはさらに、米国以外の既存のSailGPチームを買収する準備を進めていることも明らかにした。そしてそのペンサコーラのセーリング施設を、買収して自らのものにしたSailGPチームの拠点とするらしい。

つまりアメリカンマジックは、第38回ACへの挑戦を取りやめて、今年からSailGPへ参戦する意向のようなのである。

それでいながらアメリカンマジックは、AC40クラスで2027年に開催されるユースACとウイメンズACには参加する計画でいる。

もしかしたらこのチームは、英国のセーリング界のレジェンド、ベン・エインズリーが率いるアテナレーシングと同様に、SailGPとAC挑戦を並行して進めるつもりなのだろうか?

そしてその、英国のアテナレーシングがらみの情報も出てきた。アテナレーシングはSailGPにディラン・フレッチャー率いるチームを送り込み、それと並行して第38回ACにも挑戦者代表として挑戦することが決まっているが、さらにもう1チームをアラブ首長国連邦(UAE)の代表チームとしてSailGPに参戦させることを決めたらしいというのだ。

そのUAEのSailGPチームを率いるのは、オリンピック金メダルを二つ持つ英国の女性セーラー、ハンナ・ミルズである。ベン・エインズリーは、二つのSailGPチームと一つのAC挑戦チームを率いることになるのだ。

ただし、ハンナ・ミルズのSailGPチームは、来年2027年からの始動になるという。

 


アテナレーシングのハンナ・ミルズが操るAC40。ミルズにとって、前回のウイメンズAC決勝でイタリアに完敗したことは痛恨の記憶のはず。次回のウイメンズACに向けて、すでに昨年末からバルセロナでAC40でのトレーニングに入ったと伝えられている
photo by Athena Racing

 


昨年のSailGP優勝カップを手にした英国アテナレーシングの面々。左からディラン・フレッチャー、ハンナ・ミルズ、そしてまだ現役を引退したわけではないベン・エインズリー。三人合わせてオリンピック金メダルを7つも持つ、英国セーリング競技界の至宝たちが英国のセーリングの未来を切り開いていく
photo by Andrew Baker for SailGP

 

予測不能な未来

エインズリーとアテナレーシングの後ろに控えて、その活発な活動計画を支えているのが、英国のオークリー・キャピタルという投資会社。

この会社は今ではノースセイル、ドイルセイルなどのセールメーカーや、サザンスパーやホールスパーといったリグメーカーなど、マリンビジネスの世界で名の通った一流ブランドを多数所有している。

この会社の動きを、ACサイドやSailGPサイドはどのように考えているのだろう。

現時点のAC側の中心人物にはグラント・ドールトン(防衛チーム、エミレーツ・チームニュージーランド[ETNZ]のボス)とパトリッツィオ・ベルテッリ(ACに連続して25年以上も挑戦続けているイタリアのルナロッサ・チームのボス)。そしてもう一方のSailGPには、総指揮官であるラッセル・クーツ。

三者三様にそれぞれが強烈な個性と実績の持ち主であり、過去にACに絡んで深めの個人的因縁も持つ3人が、ACとSailGPを挟んで対峙する、それだけでもハラハラ、ドキドキするような人間模様なのに、その中に世界のマリンビジネスに深く関わっている投資会社がさらに加わってこようとしているのである。

明けた2026年。ACの未来には、どんなことが待ち構えているのだろうか?

 


2013年の第34回ACで戦うラッセル・クーツ率いる米国のオラクルチームと、グラント・ドールトン率いるETNZ。英国人のベン・エインズリーにとって、このときオラクルのタクティシャンとして銀色のカップを手にしたことが、いまのところただ一度だけのAC勝利の経験なのである
© ACEA / PHOTO GILLES MARTIN-RAGET

 

3連続防衛を目指す新生ETNZ

仕事と私用の両方を抱えて、昨年の12月上旬から中旬にかけて、ニュージーランドのオークランドに滞在した。この1年間で3度目のニュージーランドになる。

市内のバイアダクトエリアを歩いているときに2隻のAC40が沖から帰って来るのが見えたのでETNZの基地まで行くと、新しく入団した若いセーラーたちを含むETNZのAC選手全員がその2隻から降りてきた。

彼らが生き生きとした表情で話したり作業したりしているのを見ながら、ACがこの先の未来でも、世界中の若い競技セーラーたちの憧れであり続けていてほしいなと願った。

 


ETNZに新加入したクリス・ドレイパーの姿も見える。ドレイパーはこの1カ月後、2026年SailGP開幕戦前日の練習中に顔面に大怪我を負ってしまった
photo by Kazu Nishimura

 

(文=西村一広)

 


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西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。

 


 

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