英国の英雄、サー・ベン・エインズリーが、英国SailGPのスキッパーから降りることを発表した。
自身がチームを率いて臨む、第37回アメリカズカップが半年後に迫っていることが関係しているとささやかれているが・・・。
本稿は月刊『Kazi』3月号に掲載された内容を再集録し、3回に分けて無料公開する。今回は2回目。(編集部)
前回の記事はコチラ→AC日記04-3① | 補完し合うアメリカズカップとSailGP
※メインカット写真|photo by INEOS Britannia | 若くして世界のセーラーの頂点に立ったベン・エインズリーも46歳になった。排水量型キールボートでACが闘われていた時代だったら、間違いなく人生最高のパフォーマンスを発揮できるタイミングなのだが
初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。
英国SailGPチームからの離脱
ベン・エインズリーがSailGPを離れる理由は、チームCEOとして2024年9月に迫ってきた第37回アメリカズカップ(以下、AC)の準備に集中するためだとされている。本当にそれだけだろうか?
前回、2021年の第36回ACでは、エインズリー率いるイネオス・ブリタニアは大苦戦をして予選敗退した。艇とフォイルの開発の失敗が直接の敗因とされているが、エインズリー率いるセーリングチームにもかなりのパーセンテージで負けた要因があったように思えた。
第37回ACのプレイベントとして昨年秋と冬の2回行われたAC40クラスによるレースでも、セーラーとしてのエインズリーは、世界最強のオリンピックセーラーとしてのすごみをほとんど見せてくれることなく敗退する。
SailGPドバイ戦では、接戦を演じてファンを喜ばせたものの、ルール違反で失格になり、若手スキッパーたちの後塵を拝して、決勝に残ることはできなかった。
エインズリーが「いつかは自分の手で英国にACを持ち帰る」ことを目標に、まずはニュージーランドチームに修行しに行ったのが2004年。
その後、一度米国チームの一員としてAC獲得に貢献したことがあるが、まだ最終目標にたどり着いていない。NZチームで補欠のBボートスキッパーとしてACの下積みを始めてから、今年は20年の節目になる。
エインズリーの本心を見ることはできないが、もしかしたら、SailGPから降りることを決めたエインズリーは、次回ACのスキッパーを若手に譲ることを考えているのかもしれない。
筆者の個人的願望を言わせてもらえば、英国が勝つのなら、エインズリー自身のステアリングで成し遂げる光景を見たいと願う。それでこそ、英国のセーリングの英雄エインズリーの物語が完成すると思うのだけど。
F50クラスをステアリングするベン・エインズリー。自分自身を鍛えつつ、チーム全体を正しい方向に率いていく。やり甲斐と責任の重さが交錯するミッションに挑み続ける
photo by Simon Bruty for SailGP
エインズリーにとって、無くてはならない重要な片腕、ジャイルズ・スコット(手前)。世界ユース優勝、フィン級世界王者4回、五輪2大会連続金メダル。見果てぬ夢ACに挑む
photo by Ricardo Pinto for SailGP
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2024年3月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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