第37回アメリカズカップの採用艇、AC75の建造にまつわる各チームの苦悩と横顔。
続々と新艇が進水するなか、今一度その各チームのアプローチをひも解きます。
本稿は月刊『Kazi』5月号に掲載された内容を再集録して公開します。(編集部)
※メインカット写真|photo by Instagram_alinghiredbullracing | シッピングによって移送されたアリンギ・レッドブルレーシングのAC75
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初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。(編集部)
かつては、アメリカズカップ(AC)挑戦艇、防衛艇をマーティンマリーンやクックソンボートといった熟達の国内レースヨット造船所に発注して造っていたニュージーランドだが、ここ最近は全てチーム内のボート建造技術者たちの手によって、自前でレース艇を建造するようになった。
今回は特に、チーム本部のあるオークランド市内バイアダクト地区と隣り合うウエインポイント地区に自分たちのレース艇建造施設を新築して、デザインチームとセーリングチームが、建造途中のレース艇に身近に接することができる環境を整えた。
チームCEOのグラント・ドールトンによれば、新型AC防衛艇は、ものすごく斬新な造形のデザインだとのことで、それと比べると、第36回ACで圧倒的強さで防衛を果たした〈テ・レフタイ〉が、(古くて鈍重な)戦艦にしか見えないかも知れないよ、という。この新型防衛艇は、〈テ・レフタイ〉に比べて、最高スピードで10%以上も速くセーリングするらしい。
英国からの挑戦チーム、イネオス・ブリタニアの第37回AC挑戦艇は、英国南岸のサウサンプトン近郊ハイスにあるキャリントン・ボートが建造した。この造船所を率いるジェイソン・キャリントンはウイットブレッド世界一周レースやボルボ・オーシャンレースで活躍した、元プロフェッショナル・レーシングセーラー。
キャリントンはレーシングセーラーとして活動しながら、同時に、かつて英国トップのレース艇ビルダーとして君臨していたグリーン・マリンの宗主、ビル・グリーンから、レーシングヨット造船術を長きにわたって学んだあと、グリーンの跡を引き継ぐ形でキャリントン・ボートを創業した。そして現在、IMOCA60をはじめとする大型レーシングヨット建造で、英国のトップ中のトップビルダーとして高く評価されている。
イタリアのルナロッサ・プラダ・ピレリ(以下、LPP)の第37回AC挑戦艇を建造したのは、これまでと同じくイタリア北部のベルガモに工場を構えるペルシコマリーン。ペルシコはLPPの挑戦艇を建造するだけでなく、第36回ACに引き続いて今回のACでも、共通パーツとしてのフォイルアームを製造し、それらを全チームのAC75クラスに供給する。
ペルシコは世界一周や大西洋横断最速記録を狙う大型トライマランなどの他、IMOCA60、TP52などハイテクカーボンヨットを数多く建造するビルダーとしても知られている。
イタリアの隣国フランスからのチャレンジャー、オリエント・エクスプレスの挑戦艇を建造するのは、フランスのブルターニュ地方ヴァンヌにあるボートビルダー、マルチプラスト社である。マルチプラストもトップクラスの外洋レース用モノハルとマルチハル建造で人気と実績を誇るビルダーである。
巨大トライマラン対カタマラン対決になった第33回ACで敗北して以来のAC再挑戦になる、エルネスト・ベルタレッリが率いるスイスのアリンギ・レッドブルレーシング(以下、ARBR)は、ETNZと同じく、チーム内ビルダーたちの手によって今回の挑戦艇を建造した。
このチームの挑戦艇建造施設はスイス国内の、美しいレマン湖畔の街エクブランに建てられ、昨年秋から冬の間にボート建造が進められた。船体が完工した2月中旬に、エクブランのヤードからトラックに載せられて出荷され、アルプスとピレネー山脈を越えて約2週間をかけて3月4日にバルセロナの同チームのコンパウンドに到着した。挑戦艇は、フォイルアームやその駆動系メカトロニクスなどをそのシェッドの中でインストールしたあと、4月上旬に進水する予定だという。
〈パトリオット〉の大破事故以来、上層部による組織運営が混乱しているようにみえるアメリカンマジックは、米国東海岸のロードアイランドで新艇を建造中とのことだが、進水予定などについては、この原稿を書いている3月中旬時点では、まだ何も発表されていない。資金調達に苦労しているのか、アームやセールトリムなどをコントロールする駆動系は、〈パトリオット〉のものをそのまま新艇に移設するのだという。
セーリングチームにトム・スリングスビーとポール・グッディソンの二人がそろうことになって、セーリングチームの海上での戦力としては今回のACでトップクラスになっているだけに、米国東海岸のエスタブリッシュメントたちがそろうNYYC上層部の組織運営に乱れの気配が見られるのは、なんとも残念なことだと思う。
この先も連続してACを防衛する計画を立案し、それに向けて邁進するETNZのボス、グラント・ドールトン。次回に向けては、あのグレン・アシュビーをレースクルーの第一線から補欠に退かせる英断を下した
photo by ACE Studio Borlenghi
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2024年5月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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