初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』8月号に掲載された内容を再集録するものだ。(編集部)
(メインカット写真=photo by Emirates Team New Zealand|NZ空軍の滑走路で〈ホロヌク〉をコクピットの中でドライブするグレン・アシュビー。まるでF1パイロットのようだ。サステナブルなエネルギーである風だけを推進力とする〈ホロヌク〉が、どんなスピード記録を打ち立てるのか、セーリング界以外からも期待が集まっている)
ドールトンの功績
西暦2000年。ニュージーランドのオークランドで開催された第30回アメリカズカップ(以下、AC)でチームニュージーランドは防衛に成功した。しかし、チーム上層部の詳細不明なゴタゴタで、強力なリーダーだった故ピーター・ブレイク卿が去り(その後、アマゾン河で海賊に襲われて悲劇的な最期を迎えた)、さらに、それを追うようにラッセル・クーツ率いる中心選手群がスイスチームに自らを身売りして国を離れた。
そして、確固たるリーダー不在のまま迎えた2003年の第31回AC防衛戦。元チームNZのベテラン1軍選手がそろったスイスチームに、まるで赤子の手をひねるように弄ばれ、若手中心のチームNZはなす術もなく惨敗し、カップを失った。
カップも失い、組織もボロボロ、活動資金もなく、路頭に迷ったようなその時期のチームNZの新リーダーとして登場したのが、グラント・ドールトンだった。ドールトンは中東ドバイの航空会社をメインスポンサーとして取得することに成功し、それから先、このチームはエミレーツ・チームNZ(以下、ETNZ)を名乗るようになった。
以来、なぜか外部から非難されることの多いドールトンだが、挑戦した第32回ACと第34回ACは2回とも挑戦者シリーズに優勝、カップ本戦では2回とも敗れはしたものの、2回とも防衛者を苦しめ、見事な戦いぶりを見せた。そしてドールトン指揮下での3度目の挑戦になった2017年開催の第35回ACで、ETNZはついに勝利を収め、14年の年月を掛けてカップをNZに取り戻したのだった。
Grant Dalton
グラント・ドールトン、65歳。1987年のNZ最初のAC挑戦時は、マスト納入業者の一人だった。会計士の資格も持つ。世界一周レースなどの外洋レースキャンペーンで故ピーター・ブレイクの後を追っていた。現在はETNZのCEOとして、強いリーダーシップを発揮している
photo by Emirates Team New Zealand
高速ウインドカー〈ホロヌク〉
第36回ACで危なげなく防衛を果たしたETNZだったが、次回37回ACに向けて、チームの活動資金を得るために、ドールトンはAC戦の開催権を海外に売るという、突拍子もない計画を打ち立て、次回AC開催権をスペインのバルセロナに売り渡した。この暴挙には、NZ国内だけでなく、海外のACファンや有識者からも、ドールトンに囂々(ごうごう)たる非難が浴びせられた。
しかし、ドールトンにはそんな世間の騒ぎもどこ吹く風。バルセロナ市とカタルーニャ州からの資金を得たETNZは、次回ACでの連続防衛に向けて、セーリングチームの補強を進め、世界最強とも言えるメンバーをそろえた。さらにドールトンは、デザインチームとビルディングチームに対しては、どこよりも斬新な発想力で新型レース艇を開発する訓練として、未知の領域での二つの困難なプロジェクトを遂行する課題を与えた。
その最初の一つは、この日記でもすでに何度か書いたが、レース艇AC75クラスと同等のスピードで走る世界初の水素燃料電池駆動のフォイリング・チェイスボート〈チェイス・ゼロ〉の設計と建造だ。
そしてもう一つが、この日記では初めて書くのだが、風力推進による地上最高スピード記録に挑戦するウインドカー開発プロジェクトである。この計画は、ハードウイングを持つ高速ウインドカーをETNZのデザインチームが設計し、それをETNZのボートビルディングチームが建造、そしてそのドライバーを、長くETNZセーリングチームでスキッパーを務めてきたグレン・アシュビーが務めるというもの。完成後に〈ホロヌク〉と名付けられたこの高速ウインドカーは、NZ空軍基地の協力を得て、その滑走路でテストを繰り返した後、オーストラリア大陸の、ある広大な塩湖に運ばれ、そこで世界最高速記録に挑戦することになっている。
よく考えるとドールトンが創出したこの二つめのプロジェクトは、地上のスピードレーシングの雄であるフォーミュラワンのチームとタッグを組んで、次回ACに向けて新艇を開発している英国からの挑戦者イネオス・ブリタニアと、同じくF1チームと合体したスイスの挑戦者アリンギ・レッドブルに当てつけているようにも思える。しかも、ガソリンエンジン車ではなくて風力推進車である点と、すべてオリジナルのチーム内でこのプロジェクトを完遂したという点では、ETNZはこの分野でも、すでにこの二つの挑戦チームに先んじているという見方もできそうだ。
チーム外では評価が分かれるドールトンだが、その強力なリーダーシップによって、今のところETNZは盤石の態勢で第37回AC防衛に向けて邁進しているように見える。
〈Horonuku〉
〈ホロヌク〉の全景。右が前、左が後ろ。パイロットのアシュビーは、ハードウイングを操作しながら前端のフードに覆われた前輪によって操舵している
photo by Emirates Team New Zealand
ETNZのデザインチームとボートビルディングチームだけの手によって〈ホロヌク〉は開発された。それそのものが、チームの潜在能力開発のトレーニングツールにもなった
photo by Emirates Team New Zealand
デザインチーム、ビルディングチーム、セーリングチーム、を密接に協力し合わせながら一つのプロジェクトをゼロから完成させる。ドールトン流の組織運用術の一つである
photo by Emirates Team New Zealand
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2022年8月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
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西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバートレース総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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