初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』10月号に掲載された内容を再集録するものだ。(編集部)
(※メインカット写真=photo by Richard Gladwell|失意の中でニューヨーク・ヨットクラブ代表チームを去ったバーカー[右]。左は引き続きそのチームに留まって次回第37回ACにヘルムスマンとして挑戦するポール・グッディソン)
今回は、2010年の、水線長90ftのトライマラン対カタマランの変則マルチハル対決になった第33回アメリカズカップ(以下、AC)に敗退して以来、12年ぶりにACへの再挑戦を表明したスイスのエルネスト・ベルタレッリ率いるアリンギ・レッドブルレーシング(以下、ARBR)が、他の挑戦チームに先駆けて、第37回ACの開催地となるバルセロナ(スペイン)での活動を開始したというニュースから。
ARBRは、第36回ACの防衛に成功したエミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)から彼らの第1世代のAC75クラス〈テ・レフタイ〉を、新チーム発足とほぼ同時に購入。その艇を〈ボートゼロ〉と改名し、AC75クラスの新ルールに沿ったスペックの新型フォイルを装備するなどのモディファイ作業を続けていたが、先月8月10日に、バルセロナに新設した彼らのベースキャンプで進水させた。
それと同時にARBRは、チームのコーチ陣の一人として、ニュージーランド人のディーン・バーカーが加わったことも明らかにした。バーカーは前回第36回AC予選で、ニューヨーク・ヨットクラブ代表チームのアメリカンマジックのヘルムスマンとしての手痛い判断ミスを犯して艇に大きなダメージを与えてしまい、その事故が大きな理由でチームは予選で敗退した。バーカー自身の辞意によるのか、チーム上層部の判断による放出なのかは明らかにされていないが、バーカーは失意のままアメリカンマジックを去り、代わりに、アメリカンマジックにはオーストラリアのスーパースター、トム・スリングスビーが迎え入れられた。
2000年の第30回AC最終レースでのヘルムスマン・デビューを勝利で飾ったことを唯一の例外として、バーカーはそれ以降のACで常に悲運を背負っていた印象が深い。ARBRのコーチとしての活躍を心から祈りたい。
ディーン・バーカー、49歳。2000年の第30回ACではチームNZのBボート(2軍)スキッパーとして、Aボート(1軍)スキッパーのラッセル・クーツからマッチレースと大型艇ハンドリングのスキルを「口移し」で伝授されるという幸運を生かして、大きく成長した
photo by Tsuyoshi Nakamura (Kazi)
バルセロナ最新情報
第37回ACへの挑戦状受理は、7月31日に締め切られた。防衛者ロイヤル・ニュージーランド・ヨットスコードロン(代表チーム:ETNZ)に挑戦するのは、ニューヨーク・ヨットクラブ(代表チーム:NYYCアメリカンマジック)、英・ロイヤルヨットスコードロン(代表チーム:イネオス・ブリタニア)、シチリアセーリングクラブ(代表チーム:ルナロッサ・プラダ・ピレリ)、ジュネーブヨットクラブ(代表チーム:ARBR)の四つのヨットクラブだ。
挑戦状受理締め切りとほぼ同時に、第37回AC開催都市バルセロナ市内の、各チームに割り振られるコンパウンド(ベースキャンプ)用地も発表された。
直近3回のAC開催地だった、オークランド、英領バミューダ、サンフランシスコとは異なり、全チームのコンパウンド用地が特定のエリアに集中して開発されるのではなく、バルセロナ港内の空き地が有効利用されることになったため、それぞれのチームのコンパウンドは、バルセロナの旧港内に分散して建設されることになった。五つの参加チームに対して六つの候補地が用意されているが、余る一つがホスピタリティー&ファンゾーンになる。
レースを観戦するには、横浜のグランドインターコンチネンタルを連想するデザインのホテル、Wバルセロナが最高の観客席になる。2024年9月から10月、このエリアがAC一 色になる
photo by Emirates Team New Zealand
バルセロナは神戸の姉妹都市。サグラダファミリアだけで持っているわけではなく、港湾都市としてもヨーロッパ有数で、クルーズ船の発着も盛んだ。客船旅行とAC観戦を組み合わせたツアーにも人気が集まりそう
photo by Emirates Team New Zealand
アリンギ・レッドブルレーシング、ボスの狙いはどこに?
ARBRを率いるエルネスト・ベルタレッリはラッセル・クーツを雇い入れて初挑戦でAC獲得に成功するという幸運を得たが、その後の防衛戦のありようを巡ってクーツとの関係が悪化し、クーツをチームから放出した。しかも、その回のACでクーツの他チームへの移籍も阻んだ。
そんなベルタレッリだからクーツが運営するSailGPに参加することはあり得ないが、クーツが離れたACに復帰することに違和感はない。ARBRにはすでに複数のコーチが存在する。それに加えてクーツの愛弟子とも言えるバーカーを新たにコーチに雇い入れた本音は何か、少々興味深い。
RBRのカラーリングを施された〈ボートゼロ〉
photo by Richard Gladwell
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2022年10月号(9/5発売)に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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