アメリカズカップのレース艇比較研究、序章①の続き。 設計、建造に制限のあるボックスルールでありながら、各チーム独創的な船型を見せている、第37回アメリカズカップの採用艇、AC75。その船型の違いについて、プロセーラーの西村一広さんに考察してもらいました。
今回は特に、英国からの挑戦チーム、イネオス・ブリタニアについて深掘りしています!!注目です!
※メインカット写真|photo by Cameron Gregory / INEOS BRITANNIA
大富豪のチームオーナー、ジム・ラトクリフが率いる組織の中には、F1の強豪チームもあれば、ツールドフランスで活躍する強豪自転車チームもある。それらが結束したACチャレンジチームをベン・エインズリーが率いている
初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。(編集部)
本番、迫る
第37回アメリカズカップ(以下、AC)本戦が迫ってきた。それに先だって、5カ国からの挑戦者たちが、たった一つの椅子を奪い合う挑戦者決定戦=ルイ・ヴィトン カップは8月に始まる。それら挑戦者たちの挑戦艇5隻は、決戦の地、スペインはバルセロナ沖のレース予定海面で最終トレーニングと調整に入っている。
王者エミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)の新防衛艇〈タイホロ〉もオークランドで進水後、現地でのテストと調整を済ませて、この原稿を書いている6月中旬時点は、コンテナ船に載せられてバルセロナに向かっている。
ACをかけた戦いは、オリンピックメダルを何個も持つ当代世界トップ中のトップ・レーシングセーラーたちが、それぞれの凄技を繰り出して斬り合う白熱のレースになるが、AC争奪戦は同時に、セーリングヨットの性能の未知の地平を切り拓く技術開発競争の場でもある。
つまり、挑戦者たちを送り出すそれぞれの国の海洋文化と最新科学技術力が、それらのレース艇に注ぎ込まれる。それぞれのレース艇は、当代のセーリングヨット・テクノロジーにおいてトップ中のトップである精鋭技術者たちがチームを組んで開発される。その開発競争の結果も、他のヨットレースでは見られない、AC争奪戦独自の、もう一つの見どころになる。
イネオスの新艇の太ったバッスルの理由は、先月号でワタクシが書いた感想よりも、もっと深い理由があるかも知れない
photo by Cameron Gregory / INEOS BRITANNIA
AC勝者への方程式を求めて
今回の第37回AC戦の制式艇は、モノハルフルフォイラーAC75クラスの第2世代。AC75クラスの船体デザインそのものは、もはや進化の方向が限られていて、相手よりも早くフォイリングに入るためのカタチを持つことと、フォイリング中はセールと海面との間を塞ぐエンドプレートになることくらいしか役目はないという理由で、AC75の第2世代はどのチームも同じような船体デザインになるだろうと、海外の多くのACメディアやジャーナリストたちは、予想していた。
ところがドッコイ、フタを開けてみるとその予想は大外れ。この5月から6月にかけて次々に進水した各チームの第2世代の船体デザインは、それぞれが個性にあふれたカタチをしていて、思い思いの方向にさまざまな進化を遂げていた(唯一の例外として、フランスのオリエントエクスプレスは、挑戦準備期間の短さとコンパクトな予算が理由で、ETNZから防衛艇と同じデザインを購入した)。
それぞれの開発チームが「これが第37回ACに勝つデザインだ!」と信じる方向に仕上げた艇のどれが正解だったのかは、この先、1~2カ月のうちに明らかになる。1隻のみが望み通りの結果を獲得し、ほかの全てが望まない結果に終わるのだ。
フォイリングに入る前、排水量モードで水面に浮かんでいるときの新型イネオスのスケグは、右の上2枚の写真のように、水平ではなく後ろに向かって深くなっている。しかしフォイリングに入るとスケグは海面に対して水平になる。つまりフォイリング艇が加速モードになる船首下げピッチ角である
photo by Cameron Gregory / INEOS BRITANNIA
英、イネオス・ブリタニア
新型艇は驚異的なのか?
第37回ACの挑戦艇と防衛艇の分析を詳しく試みている信頼できるメディアは、英国『Yachting World』のウェブ版と、以前のこのコラムでも紹介したオーストラリアのYouTubeアカウント、MozzySailsだ。
英国『Yachting World』のウェブ版は、英国イネオス・ブリタニア(以下、イネオス)の開発チームの一人を解説者に迎え、イネオス以外の各チームのレース艇をとても詳しく分析している。
そのイネオス開発チームメンバーが分析してくれないイネオスの新型レース艇についてはMozzy Sailsがかなりマニアックに突っ込んで考察している。それによると、新型イネオスは注目に値するらしい。
ベン・エインズリーが率いるこの英国チームは、今回で連続3度目のAC挑戦になる。全ての国際的スポーツ競技において、英国スポーツ界がこれまで一度も手にしたことがない唯一の国際的優勝杯が、アメリカズカップなのだという。しかもその優勝杯は、そもそも大英帝国のヴィクトリア女王陛下が、英国が勝つに決まっていると思われていた地元英国でのレースのために、170年以上も前に下賜(かし)した優勝カップ。
そのレースで米国の〈アメリカ〉号に持ち去られて以来、一度も英国に戻ってきていない。十分な挑戦資金ばかりでなく、クルマのF1チャンピオンチームの技術開発力をも手にしているベン・エインズリーは、そろそろ結果を出さなければならない立場に追い込まれている。
この切迫状況とも関連しているのか、Mozzy Sailsによると、今回のエインズリーの新型艇は、かなり驚異的な性能を秘めているかも知れないというのだ。
さてここから、その本題に入ろう、と思っていたら、なんということだ、今回もこれ以上この本文スペースに書く紙幅がない。仕方がないので、取りあえず、写真説明文に書けるだけ書くことにする。
この5月にACに再会。1990年から2003年まで、ロイヤルニュージーランド・ヨットスコードロン(RNZYS)のクラブレースに明け暮れていたあの頃、1995年からはクラブ2階にACがあることは当たり前のことだった。今年10月に予定している再訪のとき、ACにここでまた会えるだろうか?
photo by Kazu Nishimura
新型イネオスのラダーの取り付け位置とクルーの乗艇位置は他艇よりもかなり前にある。ルールで規定されたフォイルアーム位置に対してフォイルは可能な限り後ろに付けられている
photos by Mozzy Sails
ボリューミーなバウのバッスルに対して、メインセールの後端位置あたりでスパっと切られたバッスルとスケグ。排水量モードの時にこれがスターントリムを生み出し、フォイルとエレベーターに強力な上向き揚力を生み出す、という説
photos by Mozzy Sails
AC40クラス(赤)と、新型イネオス(青)の、スケールを同じにした場合のフォイルとエレベーター位置の相関図。AC75のクラスルールver.2では、ラダー下端は前後に1.5mも動かすことができる
photos by Mozzy Sails
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2024年8月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
●AC日記04-5② | 第37回アメリカズカップ AC75ビルダーたちの横顔
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●月刊『Kazi』2024年8月号|特集は「沈起こし、再考/キャプサイズからの復原、実証実験」